2日目 シャルトル大聖堂・シュノンソー城・シャンポー城 |
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ホテル ティモテル・シャルトル・カテドラル フランス2日目の朝です。 朝食のレストランにも一番乗り・・・・ |
パンの種類が多くて何を食べるか迷っちゃう ハムの種類も多くて・・・・ さすが、パンはどれも美味しいです でも野菜が無い・・・・ |
部屋から見た外の景色 今、7:35 空が明るくなって来ました。 |
窓から朝食を食べたレストランが見えます。 外で食べる事も出来るんですね。 |
昨夜見た、ライトアップされたシャルトル大聖堂ですが 今日は教会内部の見学に行きます。 ホテルの直ぐ近くだから・・・・ |
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シャルトル大聖堂西側ファサード 1979年にユネスコの世界遺産に登録され、 フランスで最も美しいゴシック建築とされています。 二つの劣塔の左が113mの16世紀のフランボワイヤン・ゴシック様式、 右が1140年以来立ち続ける105mの質素な角錐のロマネスク様式の塔。 左右全く異なった様式の塔なのに、何故だか違和感無く美しく感じるのは何故だろう |
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西側ファサード王の扉 |
王の扉中央 円柱に彫られた等身大の人像は、 ユダヤの王妃や王族、預言者達だと考えられているそうです。 |
南側ファサード |
南側の頑丈な壁 |
西翼廊のバラ窓 ブルーが強調された美しいステンドグラスなのですが、 暗い場所だったので写真が綺麗に撮れませんでした。 キリストの受難が描かれています。 |
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ステンドグラス |
ステンドグラス 文字が読めなくても聖書を学ぶことが出来るように ステンドグラスで聖書の物語を説明しています。 |
元来あった186作品のステンドグラス窓のうち 152作品が現存しているそうです。 |
アプス アプスの天井にも多くのステンドグラス窓があり 聖母の被昇天像が明るく照らされています。 アプス (apse)、またはラテン語で absisは、 壁面に穿たれた半円形、または多角形に窪んだ部分である。 ローマ建築に起源を持ち、宗教建築・世俗建築の双方において見られる。 (Wikipedia) |
キリストを抱くマリア像のステンドグラス このマリアの着ている衣服のブルーが シャルトルブルーに代表される美しい青という説明でした。 |
マリアがまとっている青い衣服を このシャルトル大聖堂が所蔵しているそうです。 |
当時の人々の職業もステンドグラスで描かれています。 |
色んな動物も ステンドグラスで描かれています。 |
壁の彫刻軍 当時の色んな職業の人々の彫刻です。 上の窓のシャルトル・ブルーのステンドグラスも綺麗ですね。 |
ステンドグラスで描かれた聖書の物語 |
南翼廊の薔薇窓 |
北翼廊の薔薇窓 |
サンクタ・カミシア(Sancta Camisia、聖衣) シャルトル大聖堂が所蔵していると伝えられる 聖母マリアの衣服の切れ端。 |
聖遺物はシャルル2世からの贈物であり、 その生地がシリアから来たもので 紀元1世紀代に編まれたものと言う見方が有るようです。 信者達は聖遺物「サンクタ・カミシア」を 一目見ようと、今でも世界各地から訪れます。 シャルトル大聖堂が「聖母マリア」を 讃える為の教会だという意味が良く分かります。 |
聖母マリア像 |
聖母マリア像 |
ミサが始まりました。司祭の声が教会内に厳かに響き、 信者でない私も一瞬心が清められる気持ちがしました。 教会内では大声を出したり、笑ったりする事は禁じられていますので、 ガイドの声も小さくなります・・・・ |
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教会から外に出ると現実に戻り、外は良い天気です。 教会の近くには唐突に大きな観覧車が有りました。 |
さて、私達は次の目的地のロワール地方に移動します。 シャルトルでただ一人の日本人のガイドさんとお別れします。 駄洒落満載の楽しいガイドさんでした。 お元気で頑張ってください・・・・ |
シャンボール城 シャルトルよりバスで約2時間30分/140km離れたシャンボール城に到着しました。 ロワール渓谷に点在する城のうち、最大の広さを持つシャンボール城は 、フランス王フランソワ1世の狩猟用の離宮として建てられました。 着工は1519年フランソワ王若干24歳の時、日本では室町幕府の時代です。 石灰質の岩から切り出した石で作られた優美な城には部屋が426、暖炉が282、階段が77有って、 フランソワ王は宿敵カール5世をシャンボールに招待して見せびらかし、大いに自慢したそうです。 |
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シャンボール城全景 城は暖房が効かず居住には適さない為に、フランソワ一世が32年間の統治生活で シャンボールで過ごしたのは僅か72日間、城の完成を見ることなくこの世を去りました。 フランソワ王の死後はルイ14世、ルイ15世へと渡り、18世紀には居住用に改装されて多くの人に受け継がれ、 又、野戦病院として使われたりしましたが、その後は長く放置され、 本格的に修繕が始まったのは1945年に第二次世界大戦が終了した数年後でした。 現在、「フランスの庭」と呼ばれるほど、ロワール渓谷でも特に有名な城として屈指の観光地となっていて、 1981年、ユネスコの世界遺産に「シャンボールの城と領地(Chateau and Estate of Chambord)」として登録されました。 |
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残念ながら私達は城に入らず 入り口の売店のみの見学でした。 |
メルヘンチックなものが有りました。 |
素敵なクッションカバーが有って 欲しかったんですが・・・・どれも50€以上してて高かった。 |
総面積5440ヘクタールの敷地はパリ市の大きさに匹敵し ヨーロッパ最大の森林公園で、国の狩猟鳥獣保護区に なっていて、一般の立ち入りが許されている遊歩道では イノシシや鹿の姿を見ることも出来るそうです。 |
シャンボール城裏側 |
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裏庭に有ったレストラン |
城の後ろのレストランとみやげ物店 |
城内の建物 |
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ロレデシャンボール シャンボール城から3キロほど離れたレストランでランチです。 |
ロレデシャンボール 大きな樽で出来たデスクって言うのでしょうか 受付のような所です。 |
私が座ったのは一番手前の丸テーブルの右側の席です。 天井の木組みが中世の雰囲気を残しています。 |
壁には動物の剥製を沢山飾っていました。 |
ペリエ(3.5€) |
前菜のキッシュ |
牛肉の煮込み この牛肉が動物臭くてお肉好きの私でもダメでした。 見た目には美味しそうなんですが・・・・ |
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ロレデシャンボールの前の通り 13:55 紅葉した蔦が素晴らしいです。 再びバスに乗り込み、次の目的地シュノンソー城に向かいます。 |
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ブロワ城 バスはロワール川に沿って進みます。 ジャンヌ・ダルクが1429年、オルレアンからイギリスに向けて軍を出発させる前に、 ランスの大司教から祝福を受けた城だそうです。 |
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サン・ニコラ教会 ロワール川に沿ったブロアの町並は車窓から見ただけでも素敵でした。 |
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アンボワーズ城 1516年、 アンボワーズ城主フランソワ一世に招かれ、イタリアから来た レオナルド・ダヴィンチは、国王の手厚い保護の下 この城から400m離れたクロリュセ城で最晩年を過ごし、 今は、アンボワーズ城の敷地内の教会の墓地で眠っているそうです。 |
15:15 パーキングでバスを降りて シュノンソー城まで10分程歩きます。 |
木立に囲まれた通路の脇にはピンクの花が咲いていて |
何の花か良く見えなかったので写真を拡大してみましたが ボケてしまって・・・・ 片栗の花のように花びらが逆に反っているように見えます。 |
シュノンソー城前庭 私達はまず、城の反対側に向かいます。 |
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ここから階段を降りると・・・ |
ワイン貯蔵庫がありました。 |
シュノンソー城 1411年に建てられたこの邸宅は、何度も売却され、幾多の城主の手に渡っても尚、 現在までこの美しい姿をとどめているのは、6人の女城主のこの城に対する愛情の賜物だったようです。その6人とは・・・・・ |
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ディアーヌ・ド・ポワチエ (1499〜1566) 国王アンリ二世の愛妾だったディアーヌは 1547年にシュノンソー城を譲り受け、 その当時、最も革新的と言われた城の造園工事を実現させ、 シェール川に橋を建築させ、 シュノンソー城は、世界に類を見ない建築物となりました。 |
ディアーヌ・ド・ポワチエの部屋 ディアーヌ・ド・ポワチエの庭園 |
カトリーヌ・ド・メディシス (1519〜1589) アンリ二世の死後、未亡人となった本妻のカトリーヌは、 ディアーヌを城から追い出し、自分の庭園を美しく作り、 城の建築工事を進めイタリアの装飾様式を導入し、 ギャラリーを二階構造に建て直しました。 |
カトリーヌ・ド・メディシスの部屋 カトリーヌ・ド・メディシスの庭園 |
ルイーズ・ド・ロレーヌ (1553〜1601) 1589年に夫のアンリ三世をなくした後、 当時の宮廷のしきたりに従って 白い服をまといシュノンソーに引きこもり、 寡婦資産を受けて細々と生活し、 読書、慈善活動、祈りを日課とし、ひっそりと暮らしました。 |
ルイーズ・ド・ロレーヌの部屋 夫のアンリ三世が1589年8月1日に修道士ジャック・クレモンに 暗殺された後、ルィーズは、この部屋に篭り瞑想と祈りに明け暮れました。 |
ルイーズ・デュパン (1706〜1799) 18世紀になり、ルイーズ・デュパンによって シュノンソー城はかつての栄光を取り戻します。 彼女はこの城で知識人のサロンを催し、 モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーのような 作家、詩人、科学者、哲学者を招き、 フランス革命時にはその機知によりシュノンソー城を守りました。 |
マルグリット・ペルーズ (1836〜逝去年不明) 19世紀の産業資産家の出身だった彼女は ディアーヌ・ド・ポアチエの時代の城を復元させる為、 多大な費用を投じましたが、 政治的陰謀に巻き込まれ、破産してしまい、 その後シュノンソー城は1913年まで数回にわたり売却されました。 |
シモーヌ・ムニエ (1831〜1972) 第一次大戦中、シモーヌ・ムニエの家族の出資 (ムニエチョコレート工場の収益)により 城のギャラリーは病院に改装され、 彼女は看護婦長を担当し病院を運営しました。 そのような勇敢な行為が行われた事により、 この城は第二次大戦終結当時まで レジスタンスの活動の場として多岐に渡り運用されました。 |
「貴婦人達の城と」呼ばれる、このシュノンソー城は これまでに、いったい幾多の愛憎劇を見てきたのでしょうか。 今は、遥か昔に想いを馳せ、 彼女達の心の底を、少しだけ慮ってみるのみです。 |
シェール川を跨ぐ様に建てられたシュノンソー城 は、かつては製粉所だったようです。 そう言われて見れば、城としては珍しい構造だと思います。 |
船に乗って城の真下まで行けるようです。 |
城の正門 |
シェール川の増水被害を受けないよう 高い石垣が作られています。 |
床の隅の方だけに元々の美しいタイルの模様が 残っています。 |
壁のタペストリー |
ディアーヌ・ド・ポワチエの部屋の床のタイルに”D”のマークが |
ポワチエの作った橋の上にカトリーヌが作ったギャラリー 舞踏会用の部屋でした。 |
シュノンソー城内にはいたる所に美しい花が飾られています。 これらは全て城内の花壇で咲いたものだそうです。 |
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フランソワ一世のサロン |
フランソワ一世のサロンの飾り棚 |
フランソワ一世のサロンの絵画 |
狩の女神ディアナに扮したディアーヌ・ド・ポワチエ フランソワ一世のサロンに飾られていました。 |
ルイ14世肖像画 ルイ14世のサロンに飾られていました 額縁が凄すぎ。 |
ルイ14世のサロンの暖炉 |
ユリの香りが城内に立ち込めていました。 |
二階に上がってみます |
バルコニーからマルク家の塔と前庭が見えます。 |
また階段を下り |
5人の王妃の居室 カトリーヌ・ド・メディシスの娘達を記念して名前を付けた部屋です。 |
どの部屋の花も素晴らしい 次の部屋にはどんな花が有るだろうと 部屋よりも、花の方が楽しみになってきました。 |
ススキも良いですね |
わーーッ! |
これだけの白ユリなんて贅沢〜 |
毛糸の花のようですが、こんな花始めてみました。 |
地下の厨房にやってきました。 当時の物ばかりでは無いとは思いますが、台所用品が完全な形で残っていて 主婦の私としては興味津々です。 今でも立派に使えそうな物ばっかりです。 |
水桶? |
暖炉 |
食器棚 |
何に使ったのだろう |
色んな形の包丁があります。 |
たぶん、まな板ですよね |
これは調理台かな? |
城の外に出るとアイスクリームを売っている所がありました。 気分をリセットして、現実に戻さなくちゃ・・・・ 色々有ってどれにしようかな?? |
ラズベリーってフランス語でFramboiseって言うんだ・・・ 1boule,1scoop 2.80€ なのに、二つも乗っけてくれました。ラッキー! |
そろそろ集合時間なので 駐車場に急ぎます。 入る時には気が付かなかったけど 入り口には両側にスフィンクスが有りました。 |
ここが出入り口 入る時のみチケットの検札があります。 |
小さな橋を渡ると現実の世界です。 |
バスが出発すると列車が走っていました。 あの列車はこれから行くトゥールの町まで行くそうです。 |
トゥールの駅 さっき見た列車はこの駅に着きます。 凄く立派な駅ですね〜! |
バスを下り夕食のレストランに向かいます。 フランス人は外で食べるのが好きなんですね。 直ぐ横を人がいっぱい歩くし、 風のある日なんか埃が気にならないのかしら・・・・ 私だったら落ち着かないな〜! |
この店です。 |
やっぱりここでも外にテーブルが・・・・ |
レストランの天井 |
素敵なレストランです。 |
サラダ |
大きな切り身ですがタラだと思います。 イマイチ締りが無くて大味・・・・ |
食後トゥールのホテルに向かいます。 |
IBIS STYLES TOURS CENTRE 郊外のホテルって感じです。 今日はシャルトル大聖堂、 シャンボール城、 6人の貴婦人のシュノンソー城と見て来ました。 もう満腹!! |
─ 3日目に続く─ |