トルコの旅 6日目

カッパドキア 〜 ハットゥシャシュ 〜 アンカラ
 
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トルコはどのホテルも、このような深い形状の差込口

なので、マルチ変換プラグは

そのままでは使えず、Cプラグを

継ぎ足して充電することが出来ました。

マルチプラグしか持ってない人は困っていましたね。



カッパドキアの洞窟ホテルの猫ともお別れです。

日本の猫と泣き声も変らないのね!

あたりまえか・・・・


アヴァノスの町

カッパドキアを後にして私達の旅は続きます。

今日はヒッタイトの「ヤズルカヤ遺跡」と「ハットゥシャシュ遺跡」見学

今回の旅、最高地点でかなり気温が低く寒いそうですが・・・・



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トルコ石見学とショッピング


トルコ石だらけ・・・

こんな美しいブルー見たことない・・・・

ため息・・・


原石は普通の茶色ですって

磨くとブルーが出て来るのね。

アクセサリーには興味がないのでサラッと見ただけです。

店員さんも興味のない人は分かるみたいで寄ってこないですね。



アヴァノスの町

陶器でも有名な街なので

大きな壷が・・・更に旅は続きます。



トイレ休憩

バス移動が長いので、必須ですね!

ヨズカットの街を通過

空模様が怪しくなってきて心配・・・・



ヤズルカヤ遺跡駐車場

お土産物店もまだ開いていません。

 
ヤズルカヤ遺跡

垂直な岩壁に囲まれた薄暗い谷間、その岩肌に沢山の神像が浮き彫りにされています。

ここ、ヤズルカヤは自然を利用した野外神殿であり、ヒッタイトの神々のパンテオンとも言える聖域でしたが、

ヒッタイト以前から、古代オリエントの人々であるフルリ人の信仰の場だったらしいです。
 

 
ヤズルカヤ遺跡

神々の行進の浮き彫りが続きます。



ヤズルカヤ遺跡

紀元前13世紀のヒッタイト王、

トゥドハリヤ4世像


ヤズルカヤ遺跡

切り立った岩の間を抜けて次ぎへ進みます。



ヤズルカヤ遺跡

ヒッタイト神話の山ノ神、雄牛の神とされるシャルマと、

少年の姿のトゥドハリアを描いています。

紀元前1250年−1220年頃の物とされています。



ヤズルカヤ遺跡

動物を抱いているように見えます。

ヤズルカヤ遺跡

12神

このレリーフは劣化が少なくはっきり分かります。


 
遺跡の説明

理解出来ないのが残念!

ヤズルカヤの観光が終わって駐車場に行くとおみやげ物店が開いていました。



カラフルですね!


石に象形文字が描かれたペンダントトップ

一つ一つ全部違う図柄です。
 


石版

石に彫ってるので持つと重い。



ASIKOGLU

ホテルのレストランです。

イタリアン風でした
 


甘くて美味しかった!

レストランの真ん中に大きな薪ストーブ

冬は寒くなるんでしょうね!
 



レストランのインテリア

素敵ですね!

食後はハットゥシャシュに行きます。


ハットゥシャシュ

謎の民族と言われるヒッタイト、その都ハットゥシャシュは、

トルコの首都アンカラより東に145kmのボアズカレの村を見下ろす海抜1000mの大地に広がっています。

ヒッタイト人が何処からやってきたのか、紀元前18世紀ごろこの地に定住したと見られています。

元々この地にはハッティとよばれる人々が住んでいましたが、

彼らの文化を取り入れ自らの個性と融和させながら軍事的、政治的に力をつけたヒッタイト王国は、

一時バビロニアまで従属させるほどの大帝国となり、

その都はハッティから取ってハットゥシャシュ又はハットゥシャと呼ばれました。

紀元前14世紀半ばになると征服戦争にも疲れ、国力の衰えが目立つようになり、

2世紀後にはフリギア人によって滅ぼされたと言うことになっています。

1906年にドイツのヴィンクラーがハットゥシャシュ遺跡を発掘し、

これによりヒッタイト帝国の存在が明らかになったと言われています。

遺跡からは複数の楔形(くさびがた)文字が記された2万枚以上の粘土板が発見されました。

またヒッタイトは青銅器時代にあって、最初に鉄を使用したことで知られています。

(Turkish Air & Travel 参照)




ハットゥシャシュ図

ランチのレストランから約10分で到着しました。


 
ハットゥシャシュ

大神殿の入り口にあるライオンの石像

左の写真が頭部、右の写真が後ろから見た所。

かなり、風化していますが、元はこ下図の感じだったようです。





ハットゥシャシュ

小雨交じりになってきて寒い!

持ってるもの全部身につけてもまだ寒い!



ハットゥシャシュ

大神殿入り口

大神殿内の緑の巨石

何故かこの石だけが他とは全く違う存在感です。

特別な儀式にでも使ったのでしょうか?


神殿内の水槽跡

ハットゥシャシュ地図


今では見渡す限り物言わぬ石があるだけです。

 
大神殿図

天候神テシュブと太陽の女神ヘバトに捧げられた大神殿は紀元前13世紀に建てられました。

今は礎石しか残っていませんが、かつては日干し煉瓦で造られた壮大な建物があり

200を越す部屋が有ったと伝えられています。

3000年以上も昔、こんな立派な街が有ったなんて・・・・

日本では縄文時代なので竪穴式住居に住んで、木をこすり合わせて火を熾していた頃です・・・・




 
獅子の門

南側の城壁にあり、口を大きく開けた獅子は城壁内を悪霊から守るといわれています。

元々は右下の写真のような門だったんですね。



 
獅子の門

右側の獅子はオリジナル、

左側の獅子の頭部は破壊が酷くて修復された物です。



突撃の門

中は真っ暗ですが向こう側に抜けられそうです。







突撃門の横に有る階段を登り

Upper Cityに移動します。
 
スフィンクス門

ハットゥシャシュで一番標高の高い場所にあり、ハットゥシャシュ全体を一望出来ます。

突撃門の調度上にあり、通常は突撃門を使用し、

スフィンクス門は儀式用だったのではと言われていますが、まだまだ謎に包まれています。

このスフィンクスは復元された物で左側のスフィンクスはボアズカレの博物館に、

右側のスフィンクスはイスタンブールの博物館に有るそうです。



スフィンクス門説明図



 
 スフィンクス門の前は張り出た高大地になっていて、

端の方に立って下を見ると、石垣がピラミッド状に積み上げられているのが分かります。

角に立つと明らかにピラミッドの型と酷似しています。

紀元前1280年シリアのカデシュでのヒッタイトとエジプトの戦いの後、

両者は史上初となる正式な平和条約を取り交わしたこと等から、

他国の文化を取り入れる柔軟性があったのですね!

ここハットゥシャシュから発掘された平和条約の粘土板のレプリカは、

世界最古の平和協定として、平和を理念とする国際連合本部に飾られており

ユネスコの記憶遺産に登録されています。



国連本部に飾られている世界最古の

平和条約の粘土板のレプリカ


粘土板銘文

古の時より、エジプトの偉大なる主とヒッタイトの偉大なる王に関し、

神々は条約によってそれらの間に戦争を起こさせなかった。

ところが、我が兄、ヒッタイトの偉大なる王、ムワタリの時代、

エジプトの偉大な王と戦ったが、しかし、今日この日より、見よ、

ヒッタイトの偉大なる王、ハットゥシリは、エジプトとヒッタイトの為に、

ラー神とセト神が作った、恒久的に戦いを起こさせないための条約に同意する。

──我々の平和と友好関係は永久に守られるであろう。──

ヒッタイトの子とその子孫は偉大なる主の子とその子孫の間も平和であろう。

なぜなら、彼らも平和と友好関係を守って生きるからである。

(Wikipediaより)

Upper cityの説明図

スフィンクス門周辺説明図

YERKAPIは地上のドア(門)を意味するそうです。



突撃門

こんな石積み、崩れないのが不思議・・・・

これでは敵が大挙して押し寄せても前に進めないですね!



突撃門

トンネルは約70m、中は真っ暗で全く何も見えませんでした。

外の明かるさが希望の光に見えます。

城壁には全部で6つの門があるそうです。



突撃の門出口
 
王の門

南東の門に有るこの像はヘルメットを被り剣を持って横を向いた兵士の姿をしています。

この像もレプリカでオリジナルはアンカラの文明博物館にあるそうです。

この石造が発見された時王様の像だと思って「王の門」と名づけましたが

その後の研究で兵士の姿をした戦いの神らしいです。




ハットゥシャシュ城壁

ハットゥシャシュは当時、日干し煉瓦で造られた全長6kmの城壁に囲まれていていたそうです。

神殿の北西には復元された城壁があります。

出土品等から推測されて復元された城壁には日本の援助も入っているそうです。



穀物用の大壷

大神殿には穀物貯蔵庫もあり、当時は非常事態に備えて、大量の穀物の他に

オイルやワインなども保存されていたそうです。

縄文時代ですよ信じられます??



ハットゥシャシュ

見渡す限り発掘途中の遺跡が広がっています。

こうして見て行くに連れても、鉄器文化、建築技術等々優れたヒッタイト帝国が

跡形も無く歴史上から消えるなんて、一体何があったのだろう・・・・

他民族の襲撃?内紛?食料不足?

今となっては想像の域を出ず、全てが謎の又謎・・・・




アンカラ

古代遺跡ハットゥシャシュからバスで約3時間、トルコの首都アンカラに向かいます。

イスタンブールに継ぐ第二の都市アンンカラですが

今回のツアーではアンカラの観光は組まれていません。

ホテルで一泊するだけです。


アンカラに入ってきました。

街の交差点にあった

ヒッタイトの遺物の水牛と鹿の像


車窓よりアンカラの町



アタチュルク通り

街のあちこちにトルコの国旗が揚がっています。



車窓よりアンカラの町

アタチュルク・タワー

車窓から見えたけど、あっという間だった。

SWISSOTEL ANKARA

今夜のホテルです。


SWISSOTEL ANKARA


今回の旅行はスーパーマーケットに立ち寄る時間は

無いとの事でしたが、早めにホテルに着いたので

皆で行きました。



MIGROS

フルーツや野菜が豊富ですね。

プラムは9.90tr。イチゴは5.55trですって、Kg単位の表示ですね。

それにしても安いですよね。

私はスパイスを何種類か買いました。


 
SWISSOTEL ANKARA


かなり豪華ホテルです。



─ 7日目に続く ─