トルコの旅 9〜10日目

ボスポラス海峡クルージング、アヤソフィア、グランバザール、エジプシャン・バザザール〜帰国
 
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トルコの旅も、いよいよ最終日の朝です。

ここでバスを下りて

少し歩くとクルージングの出発点です。



これから、ボスポラス海峡クルージングです。

隣は大型船ですが、私達は中型船の貸し切りです。
 



岸を離れました・・・

天気も良いし風が気持良い〜!

ボスポラス海峡

イスタンブール海峡とも呼ばれ、黒海とマルマラ海を結ぶ海峡です。

この海峡によってトルコはアジア側とヨーロッパ側に分けられます。

南北に細長く全長は30km、幅は黒海側の入り口が最も広く3.7kmあり、

最も狭い所は750m、水深は36m〜124mです。



ドルマバフチェ・ジャーミィ

出航して直ぐに見えるモスクで、「ドルマバフチェ宮殿」の隣にあり、

建設時期も設計者も宮殿と同じなので、同じ名前で表記されるそうです。




ドルマパフチェ宮殿

宮殿はボスポラス海峡に面した新市街に1856年に完成され、

1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿に代わって

オスマン帝国の宮殿として利用されました。

オスマン帝国の皇帝がいなくなった今は、迎賓館として使われています。

初代大統領アタチュルクはこの宮殿で亡くなりました。

彼がなくなった9時5分でこの宮殿の全ての時計が止まっているそうです。




チュラーン宮殿

1872年に完成した宮殿は、1910年に火災により外壁だけを残して焼け落ちてしまい、

用地内にサッカー競技場が整備されましたが、宮殿は廃墟のまま放置され、

1987年日本の熊谷組が買取り修復が開始され、1989年、約80年ぶりに甦り、

現在では「チュラーンパレス ケンピンスキー イスタンブール」と言う

新館ホテルを併設しています。




ボスポラス橋

全長1.510m、幅6車線の釣り橋、1973年に完成。

2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では、兵士が橋を封鎖し、

これに抵抗した市民が犠牲になり「7月15日殉教者の橋」ともよばれています。



オルタキョイ・モスク

新市街のボスポラス橋のたもと、オルタキョイ地区にあるモスク。

1854年に完成し、バロック様式の美しいモスクは

ボスポラス海峡クルージングの見所の一つになっています。

この辺りが若者に人気のオルタキョイの町です。(屋台が楽しいらしい・・・・)



アジア地区

対岸のアジア地区は逆行になってしまいました。

山の上に沢山塔が見えます。



壊れた建物は爆弾テロの跡らしいです。

テロが無ければイスタンブールは最高なんだけど・・・・

船はヨーロパサイドに沿って進んでいます。



大勢の人が釣りをしています。

何が釣れるんでしょうか・・・・



ルメリ・ヒサル

メフメト二世が東ローマ帝国の首都コンスタンティノーブル(現イスタンブール)を攻略中の1452年に、

わずか4ヶ月ほどの短期間に造営した城塞。

対岸のアジア側には彼の祖父の造ったアナドル・ヒサルと言う城塞があり、

黒海からマルマラ海に抜けようとする敵の船を両側から攻撃していました。

赤紫の花は、イエスキリストを裏切ったユダが首を吊った木、

「ユダの花」別名セイヨウハナズオウです。



ルメリヒサル

南北の長さは約250m、4ヶ月で出来たなんて信じられません。




ファーティス・スルタン・アフメト橋



大型のタンカーがアフメト橋をくぐります。

マストが突つっかえそう・・・・

無事通過

マーシャル諸島の貨物船みたいです。



私達のクルージング船もアフメト橋をくぐります。


壊れた家は大型タンカーが衝突したらしいです。

・・・・・そんな事もあるんだ・・・・



ファーティフ・スルタン・アフメト橋

ボスポラス海峡に架かる吊り橋、イスタンブールのヨーロッパサイドとアジアサイドを結んでいます。

イスタンブールを征服し、「征服者(Fatih)と呼ばれたオスマン帝国の皇帝、メフメト二世に因んだ名称で、

第二ボスポラス橋(Second Bosphorus Brige)ともよばれています。

日本政府開発援助のもと1988年に完成した車両専用の道路です。

全長1.510m幅39m(8車線)


私達のクルージングの船はここでUーターンして港に戻ります。



アジアサイド

イスタンブールでは住むならアジア側が良いと思っている人が多いらしいです。

落ち着いた雰囲気ですもの・・・・



ベイベルベイ宮殿

バロック様式とオスマン朝様式を合わせた折衷様式

スルタンの夏の離宮でした。


アジア・サイド


ガラタ橋

約1時間20分のボスポラス海峡クルージングは終わって

ガラタ橋に戻って来ました。

橋の下にはシーフードのレストランが並んでいます。



金角湾メトロ橋

ガラタ橋の奥にメトロ橋が見え、その奥にアタチュルク橋が見えます。



ガラタ橋からも、沢山の人が釣りをしています。

何が釣れるんでしょうか・・・・

クルージングの後はランチタイム!



沢山のパンを持って車の間を縫ってオートバイで走り

信号で止まった瞬間に窓を開けてパンを売るって

凄くあぶないと思いましたが・・・

これもイスタンブールならではですね・・・・


シルケジ駅

アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」でも知られた

オリエント急行の終着駅です。







シルケジ駅

1890年に開業した駅舎はそのままの姿で現存していますが

一般の利用者は反対側に出来た新しい駅舎を利用し、

鉄道博物館やレストランに行かない限り、

旧駅舎を利用する人は減少しているそうです。



ORIENT EXPRESS

今日のランチは駅舎内にある

名前も「ORIENT EXPRESS」と言うレストランです。

内部はどんなでしょう・・・


ORIENT EXPRESS


ORIENT EXPRESS

レストラン内部 


ORIENT EXPRESS 

レトロなムードいっぱいで

壁には当時の写真が飾っています。



スープ

パイ生地の前菜


茄子の肉づめとバターライス


デザート

機関車のデザインのワゴン

駅長さんの帽子が乗っかってるのが 面白いですね・・・・




ORIENT EXPRESS

駅ホームの入り口です。



シルケジ駅ホーム

現在、ここは鉄道利用の為には使われていません。

机の上にガイドブックなどが並んでいました。

無料だから持って行きなさいって係りの人が進めてくれましたが、

全部英語とトルコ語だし・・・・




シルケジ駅ホーム




駅ホームにテーブルのあるレストランのスタイルは

開業当時から変わっていないそうです。

映画に出てくるワンシーンのようです・・・



御腹も気分も満腹になり更に観光は続きます。



車窓から見た町

車窓から見た風景



車窓から見た町

このように凄い荷物を牽いている人を

良く見かけます。


こちらも凄い荷物です。

傾斜のある坂道なので下りは大丈夫そうだけど・・・

これもイスタンブールならでは?




トラム



日本と同じに結構ギュウギュウ詰め!

グランドバザール(ベヤジット門)

14世紀後半にアフメト二世の命により建設されました。

66の街路と4000の店舗があり、宝石類、陶器、

香辛料、絨毯類を扱う業者が業種ごとに同じ街路に

集中して出展しています。



KAPALICARSI

「カパルチャルシュ」とは

トルコ語で「屋根付き市場」の事ですが、

日本では英語読みのグランド バザールで知られています。


グランドバザール



スカーフやその他雑貨


香辛料や瓶詰め各種御茶類

めずらしい物ばっかりで見てると飽きないんです・・・・




私達のガイドによると

グランドバザールは高ので、

次に行くエジプシャンバザールで買った方が良いとの事でした。



心を奪われるトルコランプですが、

良く見たら中国製とか、銅ではなく鉄製の物は湿気のある日本では直ぐに錆びるとか、

ガラスのペイントが直ぐに剥げて来るとか、日本では電圧が違うので、ここで見るより暗くなるので

自己責任で・・・・と聞いて泣く泣く買うのをやめました。




グランドバザール

外に出た所は別のゲートです。



ヌールオスマニエ・ジャーミー

門を潜った直ぐにトイレが有りましたが

長蛇の列だったので断念、我慢!


いまから自由行動で、40分後にこの場所で集合

店の写真をカメラに収めて解散・・・・




グランドバザール

天井も綺麗・・・だけど迷路のような通路で

迷わないようにしないと・・・・


興味のある物が色々有りすぎて時間が足りない。


店の写真を撮ろうとしていたら

ポーズを決めて待っているので、パシャッ!



オリエンタルムード満載のカフェ

目が落ち着かない・・・・




グランドバザール

ドライフラワーのお茶を試飲しました。

ちょっと甘すっぱくて疲れた身体を癒してくれました。

これ、良いかも・・・・


こんなに沢山のドライフラワーの御茶が・・・迷ってしまいます。

全部の種類の試飲は無理だし・・・・

集合時間は迫っているし・・・・結局ここでは試飲だけ。




これからは徒歩でブルーモスク観光に・・・

モスクまでは坂道になっていて

両側に商店が並んでいます。



ケーキ屋さん

一個が大きい〜!

ドネル・ケバブの店




スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)

見えてきました!さすが素晴らしい!


  
ドイツの泉

韓国的な感じがしたのですが、ネオビザンチン様式で、1901年にドイツの

ウイルヘルム2世がオスマン帝国のスルタンに送った物だそうです。

ヒッポドロームのチューリップを期待してたのに、

既に枯れてしまっていてこれもまた残念!



スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)

オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト一世によって、1906年から7年の歳月を掛けて建造されました。

世界で唯一6本の優美なミナレットと、大ドームを持ち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルや

ステンドグラスで彩られ、ブルーモスクと呼ばれています。

が!、修復工事中で中に入れませんでした〜!これって残念過ぎ・・・

イスタンブール観光の目玉なのにィ・・・・しょうがない

”インシャーラー(神の思し召し)”

(何が起こってもトルコ人はこの一言で納得するのだとか)



 
アヤソフィア博物館とチューリップ花壇

花は枯れ初めていて色がイマイチ!残念!

チューリップの花の時期にあわせてトルコ旅行計画したのに

今年は早く花が開いてしまったんですって・・・・・

チューリップと言えばオランダと思い浮かぶ人が多いと思いますが、

実はチューリップはトルコのアナトリア地方が原産地と言われています。

オスマン帝国時代の宮殿のタイル装飾やモスクにも多くのチューリップの花が描かれています。

その昔、オーストリアのトルコ駐在外交官がチューリップの花の名前をトルコ人に尋ねた所、

トルコ人は花の形のことを言っているのだと勘違いして、

ターバン(トルコ語でツリバン)に似ている花の形で「チューリバン」と説明しました。

外交官は「チューリバン」が花の名前と勘違いして他の人に教えてしまったので

その後、チューリッパ〜チューリップと変化していったそうです。




ブルーモスクの代わりにアヤソフィア博物館入場

アヤソフィア博物館



アヤソフィア博物館入り口

祝福を与えるイエスのモザイク画

 
アヤソフィア博物館入場チケット


アヤソフィア博物館

紀元330年にローマ皇帝コンスタンティヌス一世によって征服され、

皇帝の名前から付けられた街コンスタンティノーブル(現イスタンブール)に、

360年に完成したキリスト教聖堂アヤソフィアは、総主教座として長きに渡りキリスト教世界に君臨しますが、

1453年オスマントルコによって陥落したコンスタンティノーブルはイスタンブールと改称され

イスラム帝国軍は3日間にわたって街を破壊しアヤソフィアも例外ではありませんでした。

しかし、略奪後にイスタンブールに入場したスルタン・メフメット二世は、

アヤソフィアの優れた建築技術と、芸術に感銘を受け、

聖堂を完全に破壊するのではなく、モスクとして改修するよう命じました。

1935年、アタチュルク政権下のトルコ共和国になって、アヤソフィアはモスクから博物館になり、

広く一般に公開されるようになりました。



アヤソフィア博物館

内部に入ると、今までのモスクとは何だか違う空気に包まれました。

一部が修復中で、巨大な鉄骨が組まれています。



アヤソフィア博物館

アヤソフィアの最大の特徴は地上55m、直径33mの巨大なドームを周囲の半円ドームが

支える建築構造です。金色に輝く内部空間は宮殿のような威厳を感じさせ、

ビザンティン建築の最高傑作と現代においてもなお、称せられています。



アヤソフィア博物館

キリスト教会からモスクへと改造された名残があちこちに見て取れます。

イスラム教は偶像崇拝を禁じていた為、モスクに改造された時、全ての壁画は漆喰で塗りつぶされました。

その後、オスマン帝国時代の19世紀の修復時に、

スイスの建築家が漆喰の下に天使の顔を確認した後も再び漆喰で隠しました。

博物館となって、160年ぶりに塗りつぶされていた4体の天使の内のひとつの顔が

修復作業により現われたのでした。



アヤソフィア博物館

床は大きな大理石で出来ています。

床の一部が鏡張りになって

巨大なドーム天井が映っています。

上ばかり見ていて首が疲れたので調度良い!

 

壁の一部に手形のような跡が



アヤソフィア博物館

頭上にはキリストを抱いたマリア像が

その下にはミフラーブがイスラム教最大の聖地メッカの方角を向いて設置されています。

ステンドグラスの正面と微妙にずれてるのが分かります。

丸い円盤状の装飾には「唯一の神アッラー」「預言者ムハンマド」の装飾アラビア文字が描かれています。

キリスト教とイスラム教が一つの建物の中に一体となっていて

非常に興味深いです。



観光客が入れない神聖な場所の猫

この子いつもここにいるそうです。

世界で一番贅沢な猫かも・・・・

そう言えば何となく気品を感じます。



二階に上がる石畳は石がツルツルになっていて滑ります。

アッと、歩いてきた人を驚かせてしまった。

そんなに驚かなくても・・・・リアクションが 面白い!



二階に登ってきました。

主祭壇の上の聖母子像のそばまで歩けるようになっています。

工事の鉄骨が残念!




熾天使(してんし)画

天使の9段階で最高の位とされている熾天使は6枚の翼を持ち、

2つで頭を、2つで体を隠し、後の2枚で羽ばたき、神への愛と情熱で体が燃えている為

熾天使と言われるそうです。

キリスト教に疎い私は、「みの虫」かと思いましたよ、

ごめんなさい!




こちらは修復後の壁で色が鮮やかです。

他の天使の顔は隠したままにして置くのでしょうか・・・

顔を4体とも全部出すより良いと思いますけど・・・・



 
テラスの奥の突き当たりの壁のモザイク画

福音書を持ったキリストの左は、コンスタンディノス皇帝9世が献金袋を持ち、

右側は皇后ゾエが巻物を持っています。

ゾエは非常に美しかったらしく、キリストと言えども、つい目を奪われたのでしょう

キリストが横目でゾエをみています。




聖母子と、ヨアニス二世と皇后イリニ

同じように献金袋と巻物を持っています。



ステンドガラスの上の聖母子像が

テラスからだとこんな近くで見えます。



 
デイシス(嘆願)

聖書を持つキリストの両脇ににマリアと洗礼者ヨハネが立って、

人々の為に罪を許し救済するよう嘆願する様子を描いています。

ビザンティン美術、及び後の正教会芸術に置いて伝統的なイコンです。


 
出口を出て振り返ったドアの上のモザイク画

右側はコンスタンティヌスがコンスタンティノーブルを、

左側の男性がはアヤソフィアを聖母子に渡そうとしています。



アヤソフィア博物館
(Travel Book)


パシリカ・シスタン
(地下宮殿)

西暦527年、アヤソフィアと宮殿に水を供給する為に、

東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスによって建設された貯水槽。

長さ138m、幅65mの長方形の空間で高さ9mの336本の大理石円柱で備え、

78.000?の水を蓄えることが出来ます。

1985年に一般公開されました。

 
パシリカ・シスタン入場チケット



蛇の柱

3匹の蛇が互いに絡み合った柱は

デルフィ島のアポロン神殿に有った物を

再利用したらしいです。


パシリカ・シスタン
(地下宮殿)

階段を下りて地下にはいると

一瞬目が慣れないので真っ暗です。

次第に目が慣れてくると

そこには不思議な空間が広がっていました。

回遊通路が付いています。

建築当初は人目に触れない場所と言う事で

廃品利用の柱などを使っていますが

今ではこれが逆に地下宮殿の見所となっています。

パシリカ・シスタン
(地下宮殿)

トム・ハンクス主演の映画「インフェルノ」や

ショーン・コネリー主演の「007/ロシアより愛をこめて」で

ここが舞台となった緊迫の場面を覚えています。



パシリカ・シスタン
(地下宮殿)



柱の土台にはメドゥーサの首が



横向きのデドゥーサの顔

メドゥーサの首

336本の柱のうち、

支える高さが足りなかった2本だけ、

古代ギリシャのローマ神殿から持って来た

メドゥーサの首が土台に使われています。

当時は苦肉の策だったのでしょうが、今では地下宮殿の一番の見所となっています。

地上に出た後はイスタンブールの町を歩いて海の方を目指します。

イスタンブールは「セブンヒルズ」と形容されるほど坂道が多いそうですが、

下りはラクチン♪




レストラン




おいしそう!


路地



水煙草を楽しむ人

港までゆるい坂道を下っていきます。



車の多い通りも有ります。

ここでも焼き栗を売っています。


店先のドネルケバブ

地下のショッピング街

凄い人です。



エミノニュ広場まで下りて来ました。

サバサンドを食べてますね〜!

エミノニュ広場

サバサンドの船が沢山停まっています。

イスタンブールと言えばサバサンドですもの・・・・




サバサンド
1個10tr

一つ買って4人で分けて食べました。

もう直ぐシーフードディナーの時間だから・・・・



トルコ語でバルック・エキメッキという

イスタンブール名物のサバサンド。

パンに鯖?と半信半疑でしたが

トルコは世界一バケットが美味しいと言われる国、

外側パリッと、中がシットリのバケットに

焼きたての鯖と、玉葱、レタスが絶妙なバランスで

たまらない美味しさです。


エジプシャンバザール

ガイドが買い物を進めたバザールです。



エジプシャンバザールの外壁

エジプシャンバザール

1660年建築、その昔ここはエジプト方面への独占卸売り権を持っており、

香辛料をおもに扱っていた為にこの名前が付いたそうです。

内部はL字型の2本の通りだけで、全部で80店舗程なので

グランドバザールより規模が小さく迷う心配もありません。

さあ、ここで再び自由行動のショッピングタイムです。




エジプシャンバザール

割と小規模なので安心して買い物が出来ますが・・・



エジプシャンバザール

歩き過ぎて疲れちゃった・・・・

エジプシャンバザール

売ってる品はグランドバザールとほぼ同じ物です

買う時は交渉して値切るように言われたのですが・・・・



エジプシャンバザール

変わったカメラを持って後ろ向きに歩き撮影中。

テレビ番組??

どうやら白髪の老人がターゲットみたい。



エミノニュ広場

疲れちゃった・・・・美味しそうなパン・・・

座れる場所無いかな??

トレレに入る為の1トルコリラが無くて、ダッシュでエジプシャンバザールに引き返し

グランドバザールで試飲したドライフラワーのお茶を買って小銭を作りました。


公衆トイレ

有料で1tr

トルコ式トイレ

水を流す為の蛇口と容器が付いています。




ガラタ橋の下、

海に近い通路から見た港



港にはくらげが沢山!

小さい!


ガラタ橋の下に並ぶレストラン向けの

魚が配達されています。



見た事も無い魚も有ります。

グロテスクな魚も・・・どんな料理に変身するのかな?




ガラタ橋から釣竿を垂らす人々



ガラタ橋にきました。

小さな鯵かな?

オオ!ジャパニーズ!

と、急にほっぺにキスされました。ビックリ!



トルコ最後のディナーです。



ガラタ橋の下のレストラン

魚介の前菜

一人分じゃなく4人で分けるんですよ


チャイ

濃く煮出した紅茶をお湯で割って飲むのが特徴。



イカのフライ

これも4人分です。



スズキの塩焼き
(レヴレッキ・ウズガラス)

トルコでお馴染みの魚スズキ。



食べながら上を見上げると釣り竿が並び




連れた小鯵が舞っています。


イスタンブールに夕闇が迫って来ました。





ボスポラス海峡




メトロ橋




ガラタ橋の上から空港行きのバスに乗車

グッバイ!イスタンブール!



さようなら・・・

イスタンブール・アタチュルク空港

トランクを下ろし、いよいよお別れ・・・





トルコの旅は見所いっぱいで、驚きと感動の連続。


特にイスタンブールは大好きな町になりました。もう一度ゆっくり滞在して今回行けなかった他のモスクや、

アジアサイドの町も、ゆっくり歩いてみたいな・・・・


─ 完 ─

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