会 津
 
2017年1月2日〜3日
 
旅の目次に戻る

 


1日目⇒上野(8:30出発)→→塩原ハニー牧場で昼食→→塔のへつり→→大内宿→→会津高杖温泉アストリアホテル(泊)

2日目⇒高杖温泉(8:00出発)→→飯盛山→→鶴ヶ城→→あぶくま洞→→上野

会津方面に行くのは初めて、しかも、真っ白い雪に覆われた鶴ヶ城と、白虎隊終焉の地を訪れる一泊バス旅にワクワクします。
 
 


塔のへつり


塔のへつり


「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖。

南会津東部を流れる大川の渓谷で、全長200mに渡って大規模な奇岩が整列して、

国の天然記念物に指定されています。

釣り橋で向こう岸に渡ると奇岩を巡るように通路が掘られています。
が、今日はご覧のように雪が多くて足元が危険なので、土産物屋の展望台から見ただけです。
 
 
 



舞台岩

奇岩にはそれぞれ名前がついています。
 
 
 
 
 



が無ければ釣り橋を渡って向こう岸に行けたのに残念!


お土産物店では、キノコ汁と喜多方アーメンを出して待っていてくれましたが・・・・・


次の観光地「大内宿」までバスは走ります。
 
 
 
 



大内宿
15:00

南会津の山の中、約450mの間に寄棟造りの藁葺屋根の民家が雪に埋もれて立ち並んでいます。

会津城下と下野の国(しもつけのくに)日光今市を結ぶ全長130km(32里)のうち、
会津城下から3番目の宿場として1640年(江戸時代前期)頃に整備された宿場町です。

会津城主の18回に及ぶ江戸参勤や、伊達正宗の小田原参陣、豊臣秀吉の奥羽仕置きに大内宿を通行した記録があります。

又、後白河天皇の子、高倉以仁王(たかくら もちひとおう)が平家討伐の兵を挙げたが、
宇治平等院の戦いで破れ逃亡中に当時の山本村に逗留され、
この里が宮中の大内(だいり)によく似て居るため大内と改めたと言われています。

そのとき「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべとして」と詠まれました。

宿場町の丁度中程を左に進むと「高倉神社」が有り、今もなお村の鎮守として祀られています。







大内宿全体図

一番下の駐車場から歩いて突き当りまで行って戻って来ました。
 
 
 
 
 


大内宿入り口の駐車場
 
 
 
 
 

庭の植木もすっぽりと雪を被っています。

普段ならお土産物や、蕎麦屋等が有りますが
今日はどこも締まっています。
 
 
 
 
 

庭先の小正月の餅花の飾りも雪を被っていました。

高倉神社鳥居

鳥居をくぐって左に行くと高倉神社が有ります。

正法寺

宿場町の突き当たりの狭い道を左に少し登った所にあります。
戊辰戦争の時は新政府軍の救護所となりました。
 
 
 
 
 

子安観音堂

正法寺の境内に有ります。

子安観音堂

子供を抱いた金色の本尊は基本的に秘仏だそうですが、
毎年5月中程の例祭の時は
年に一度の御開帳があるそうです。見てみたいですね。
 
 
 
 
 

子安観音堂の少し先の展望台からみた大内宿

しんしん・・・・と雪の音だけが聞えます。
 
 
 
 
 
   

雪の中での人々の暮らしが、
今もひっそりとここに有るのですね。
 
 
 
 
 

軒のツララが凄いですね。
 
 
 
 
 

大内宿町並み展示館

今日はここも扉が閉まっています。
 
 
 
 
 
 

会津アストリアホテル



夕方になって、吹雪の中ホテルに到着したので

外観の写真はホテルのHPから拝借しました。

スキー場の中のホテルですが、
スキー客は2〜3組しか居なかった感じです。

夕食

バイキングでチョイスしました。私にしては少ない?
いえいえ、第二段、三段と続きますよ。
 
 
 
 
 
   

2日目

ホテルを8時出発、会津城へGo!

飯盛山
10:40


飯盛山の白虎隊の墓所に行く動く歩道が有りましたが
今日は雪が多くて行けないそうで、
下のおみやげ物店でDVDの紙芝居で白虎隊の話を聞きました。

残念!
 
 
 
 
 

会津白虎地蔵

土産物店の入り口に有った可愛いお地蔵様
 
 



白虎隊の剣舞


白虎隊が炎に包まれた鶴ヶ城を見て

もはやこれまでと、切腹する場面です。
 
 
 
 
 


まだ幼かった少年達の物語は
何度聞いても心を打たれます。

鶴ヶ城
11:50


これから天守閣まで上がります。

鶴ヶ城

本来は赤い屋根ですが、雪で真っ白です。

一層から五層の天守閣まで歩いて登るように順路が付いています。

城内は撮影禁止でした。
 
 
 
 
 

天守閣より

少し右に回って南走り長屋と鉄門
 
 
 
 
 

正面の小さな山が飯盛山その奥に会津磐梯山が雪を被っています。
 
 
 
 
 
 
塩蔵

海の無い会津では塩は貴重品でした。いざと言う時の為に蓄えられた塩は
戊辰戦争時は4万表近かったそうです。その様子を城の地下で見る事が出来ます。
 
 
 
 
 


幕末の戊辰戦争では約一ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城を中心に行われました。

鶴ヶ城は砲弾に晒され傷つき荒れ果て、戊辰戦争後天守閣は政府の命令により取り壊されましたが、


市民の願いが叶い昭和40年天守閣が復元されました。




あぶくま洞
15:00

昭和46年石灰岩の採掘中に発見されました。

山全体が石灰岩で出来ています。
 
 
 
 
 


星の天文台


向こうに見えるのは「星の天文台」です。
時間が有れば見たいけど無理かな?

鍾乳洞の入り口までは、かなり下っていきました。


あぶくま洞

入った途端こんな感じで一瞬驚きます。

舞台演出の調光システムが導入されて居るそうです。

凄く綺麗で別世界に来たようです。
 
 
 
 
 

光を通して石の模様が良く見えます。

妖怪の塔

怖いです〜!
 
 
 
 
 

ちょっと一人では怖い!

分かれ道

ここから一般コースと探検コースに分かれています。
 
 
 
 

200円払って120mの探検コースにチャレンジ!

さすが探検コース

危険な所もあります。
 
 
 
 
 

イヤーこれも凄い!

地底の精霊
 
 
 
 
 

せせらぎの間

石化の樹林
 
 
 
 
 
 

不思議な色に写りました。

滝根御殿

高さ29mのあぶくま洞最大のホール。

地下水によって石灰岩が溶かされ空洞になった後、長い年月をかけて鍾乳石が出来ました。
 
 
 
 
 
 

月華の滝
 
 
 
 


月華の滝

ボックスワークの部分を見つけられなかった・・・・

右の写真の螺旋階段を登るとホール全体が見えるらしい。
行って見よう!

出口方面
 
 
 



地底にこんな空間があるなんて信じられない・・・・
 
 
 
 
 

出口に向かう道も凄い!

竜宮殿

高さ13mのホールで、
滝根御殿には無い個性的な鍾乳石があります。
 
 
 
 
 

途中で出口が分からなくなってしまった。

迷路のようになっていてちょっと不安。

やっと出口に着いてほっとしました。
 
 
 
 
 

洞窟内の雰囲気が一変し、現在に戻りました。
 
 
 
 

朝、快晴の東京を出発して、午後には雪に埋もれた大内宿と高杖温泉、

翌日は真っ白い鶴ヶ城とこの世の物とも思えない「あぶくま洞」と一泊でも充分楽しめたバス旅行でした。


他の季節にも訪れてみたい場所です。


─ 完 ─