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Nonkyの旅の思い出


信州 高遠 (たかとう)  (2003.04.27)


城址公園の桜はまだ咲いているかと、
期待に胸膨らませて1歩公園内に入るや愕然としました。
もう青々とした葉が出ているでは有りませんか!
どうして?ここまで来る杖突峠の山々は
まだ蕾の桜も有ったの自分の目を疑ってしまいました。



地面には桜の花びらの絨毯が敷き詰められ、
遅れ馳せながら花見にやってきた人々は
花を見上げるのではなく
手で掻き集めては過ぎ去ってしまった春を
惜しんで居るかのようでした。

「桜雲橋」

名前の如く花の盛りの時は花の雲の上を歩くが如くなのでしょう!
タカトウコヒガンザクラは小ぶりで
ヤヤあかみを帯びて非常に愛らしい花だそうです。



高遠歴史博物館から見た高遠湖、
真ん中の奥には千丈ヶ岳が見えるそうですよ!
この日は春霞に隠れていました。


歴史博物館に隣接して「絵島囲み屋敷」が有りました。
ご存知でしょうか芝居の「絵島生島」の物語りを・・・・



蓮華寺の裏に有る「絵島の墓」
訪れる人も少ないのでしょう、
枯れた花がいっそう哀れを誘います。



絵島の墓のそばにひっそりと咲いていたスミレ、
28年もの間「囲い屋敷」で捕らわれの身として過し、
孤独のうちに死んだ絵島を慰めているかのようでした。



山菜の「コゴミ」も見付けました。信州ですね!



樹齢何百年なのでしょうか!
高遠にはこのような桜の大木が
あちこちに何気なく有るんですよね!



この老木桜も戦乱から今に至る高遠の歴史を見続けて来たのでしょう!
傷ついた幹は私の想いを古(いにしえ)へと 引きこんでしまいます。

信濃の春ですね!
向こうに雪を被っているのは甲斐駒ヶ岳ですね!
今信州は花盛りでした。




高遠で見付けた美味しい蕎麦の店、
製粉所もやっているので轢きたて打ちたてのセイかもしれませんね!
Nonkyは蕎麦の美味しさが解らない人だったのですが、
ここの蕎麦で開眼しました。

諏訪インターを下りて、杖突峠を登りきり、快適な道を下ると、車は山間の、のどかな町に着きます。


雪を被った中央アルプスに見守られながら、戦国時代からの誇り高い高遠人気質を今に伝える町は、春爛漫、

各家々の庭先には丹精込めて作られた花々が旅人の心を和ませてくれました。

高遠城址公園の桜は残念ながら散ってしまった後だったのですが、この穏やかな佇まいの町がすっかり好きになりました。


─ 完 ─












諏訪大社(上社本宮) (2003.02.24)
遅れ馳せながら、初詣に長野県の諏訪大社を訪れました。鳥居を潜ると階段の上に閉め縄が張られた山門が有り。だれの足跡も無い雪の石段を登ると右に入口があり
参拝者のいない上社は雪の中で静まり返っていました。時々社の屋根から落ちる雪の音で驚かされる。美しい巫女さんがお札を並べていたのでカメラを向けるとキッ!とした目で断られてしまった!
お札が映ると駄目らしい!!
この建物の中に本宮が有る。本宮に向かって二礼二拍一礼してお参りする。拍手(かしわで)が雪を被った木々に木霊する。 諏訪大社上社本宮 
降る雪が強くなり本宮が霞んで見えます。何年か前から初詣に諏訪大社にお参りしていますが、雪の中の大社は始めてでナンだか厳かな気分になりました。今年は良いこと有りそうかな!!
山門を潜ってすぐ左に手水鉢がありました。手が切れるほど冷たいのかと思ったら、以外と暖かでした。龍の口から水が落ちる音が・・・・・・チョロ・・・チョロ・・・・・
毎年、少し遅い初詣に諏訪大社を訪れていますが、こんな雪の中の大社ははじめてでしたので、いつもより厳かな気持ちになって、ちょっとばかりお賽銭を弾んでしまいました!境内は工事中で、正面山門からは入れませんでした西門から入ったのですが、又気分新たで良かったです。工事は次回の「御柱(おんばしら)」に備えてのことなのでしょうか。7年に一度の「御柱」は、次回は2004年だったと思います。











”小江戸・川越” 散策 (2002.10.6) 

「喜多院」
江戸城内の書院式建造物は今や皇居内には無く、その一部がここ喜多院に、移築され現存している。「春日局化粧の間」「将軍の湯殿、厠」等は、興味深い物が有りました。畳敷きのひろーーいトイレで将軍様が御用をお足しになっていらっしゃるお姿を想像してしまいました!
「泣き廊下」
喜多院の中にある渡り廊下は、歩くとキュッ!キュッ!ッと、音がします。「うぐいす張り」の廊下なんですが、体重43kg以上の人じゃないと鳴かないそうですよ!
因みにNonkyが歩いたら、うぐいすが悲鳴を上げてました!

「泣き廊下」

泣き廊下を外から見たところです。
五百羅漢」
境内に有る五百羅漢を尋ねました。全部で五百三十八体有るそうです。50年掛けて作られたそうですよ!


「五百羅漢」
沢山の羅漢さんの中で必ず自分にそっくりの顔が有ると言われているそうです。ソコで、Nonkyも自分に似た羅漢さんを探しましたよ!!
失敗して照れてる仕草がカワイイでしょ!





この羅漢さんも楽しそう!













「五百羅漢」
気難しい和尚さんをべそかきながらマッサージしている所でしょうか!指が今にも動き出しそうですね!
「時の鐘」
今でも1日四回の鐘の音は聞く人々に
悠久の時の流れを感じさせているようです!
川越の町のシンボルです。
「七五三の風景」

「蔵造りの家」
通りに並ぶ蔵作りの家々は、他では見られない風情です。川越の蔵造りは黒い壁が特徴ですね!どっしりとした風格が、当時の繁栄を物語っています。
川越城本丸御殿 川越城本丸御殿は嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典が造営したもので、16棟、1025の規模を持っていたが、明治維新後次第に解体されて行って、現在は、左の写真の玄関部分と移築復元された家老詰所のみになっているそうです。

本丸御殿拡大画像

本丸御殿の庭
「さつま芋」
待ってました!
美味しそうでしょ!
Nonkyもお芋のお菓子を沢山買って来ました。
美味しかった〜!
「菓子屋横丁」
袋小路に駄菓子やさんが軒を連ねて、掛け声も懐かしく一瞬にして子供の頃にタイムスリップしたような不思議な感覚に胸がイッパイになりました。
「鰻の蒲焼」
見て見て美味しそうでしょ!湯気が立ち上って匂いが伝えられないのが残念です。川越って、さつま芋だけでなく美味しい鰻屋さんが沢山有るんですね!

市内の観光スポットを巡る可愛いバス。乗ってみたかったな!
当時「大江戸」と呼んだ江戸に対して「小江戸」と呼んで、江戸文化を花咲かせた川越の町を、秋の1日、爽やかな風に誘われるままに、尋ねてみました。そこには、当時の江戸の町を彷彿とさせる家並みが今も残っていて、穏やかな人情の中に日本人の原点を見たような気がしました。











キューバ   (2001. 08.11〜08.16)                                          
地図」
国名:キューバ共和国
首都:ハバナ市
政体:社会主義協和制
主要な民族:ヨーロッパ系とアフリカ系
主要な言語:スペイン語
元首:フィデル・カストロ・ルス国家評議会議長
通貨単位:ペソ(Peso):1ペソ=100センターボ(Centavo)
主要産業:砂糖、タバコ、コーヒー等
時差:日本より14時間遅れ(3月から10月第二週までは、サマータイムを採用の為13時間差)


「ハバナ空港」(ホセ・マルティ国際空港)8月11日JAL直行便にて羽田発関空乗り換えでキューバのハバナまでの旅。
9時間後バンクーバーで給油の為着陸し2時間後乗務員の交代が有り、ハバナに向かって出発。
(バンクーバーまでの乗務員は其のまま日本に、引き返すそうでキューバの休日を楽しむことが出来る仲間の事を凄く羨ましがっていた。)
6時間のフライトでハバナ着。ホテルに到着したのは夜になっていた。ホテル到着後ウェルカムドリンクに「ダイキリ」それ以来食事の度にキューバのカクテル「ダイキリ」「モヒート」を飲む事になるのだが独特の匂いが癖になってしまった。

「ハバナ海岸」
朝の散歩に海岸まで行って見ました。
防波堤の外はかなり低い所に海がありました。海が荒れると波が道路まで打ち寄せるのでしょう。
釣りをしていた老人が真っ白い歯で挨拶を返してくれました。
海岸からなだらかな上り坂になってハバナの町は開けていきます。

毎夜のパレードの観客席が海岸に沿った通りの両側に延々と続いています。
今夜がパレードのラストらしいです。見てみたいナ〜!

「モロ要塞」
ここキューバではやはり「モロ要塞」「革命記念館」等、革命に関するものが目玉になっている。記念館の説明の担当者は革命当時の話を熱心に説明してくれる。彼の有名な革命の兆児「チェ・ゲバラ」の写真が何処の土産物屋でも売っているし、Tシャツにもプリントされている。なるほど若い頃の「チェ・ゲバラ」は、カッコイイ!!Nonkyも大きな「チェ・ゲバラ」の写真の横で写真を撮ったよ!でも晩年の36歳くらいのビデオのゲバラは、はやっぱりお腹が出ていてちょっとショック!

「モロ要塞」はハバナの港の入口にハバナ旧市街に対峙して堅牢な岩崖の上に作られていた。壮絶な戦いが長年続き多くの人々の血が流れたのだと思うと現在のキューバをシッカリとこの目で見ておかなければと思った。

「ヘミングウェイ博物館」
昼食をはさんで「ヘミングウェイ博物館」へ。
さすが社会主義の国なんでもお金が掛かるようでビデオ撮影が25USドルカメラは10USドルだと言う。ビデオの25ドルは痛いな〜!(諦めてカメラにした)

小高い丘の上に建つ瀟洒な建物はヘミングウェイが住んでいた当時のままに保存されていて、窓から部屋の中を見ることしか出来なかった。

明るくて住みここちの良さそうな感じの良い作りになっていた。


「ヘミングウェイ博物館」
猟の好きだったヘミングウェイが仕留めた動物の剥製が壁に沢山飾られていた。コレは苦手だな!!
庭には、愛猫のお墓が有ったし「老人と海」のモデルになった船が置いてあった。
「老人と海」のモデルになった老人がその船を運んできたらしい。近くの漁師町「コヒーマル」に行けば90歳を超えたその老人に会えるそうですよ!!



[コヒーマルの港で」
港に遊びに来ていた少年
この少年が大人になった時は、キューバの国はどうなっているのでしょうか!
このままの国で居て欲しいと言う気持ちと、もっと経済発展して豊かな国になって人々の生活が楽になれば良いと言う気持ちが交錯する。

でもソレが幸せとは限らないし・・・・・と、少年を見て考えてしまった。
「パレード」
その夜はオプショナルツアーの「キャバレー・トロピカーナ」のツアーが 80ドルだったが、それを止めて、ハバナのパレードが 海岸通であるらしいから、 22:30頃から一人でホテルを出た。ハバナの夜は街灯が少なく、闇の中で人々のざわめきが、こだましていた。

道を間違ったらしくて,歩いても、歩いても パレード会場の有る海岸に着かなくて、反対にドンドン広い道に出て 人々もこちらに向かって帰って来る人ばかりで なんだか不安になって引き返した。
ホテルまで戻ったら、な〜んだ逆に歩いてタンだ!気を取りなおして 海岸方面に歩いていると、行きかう人が 尽く声をかける 「ヤポン」 とか 訳解らない言葉でしゃべりかけてくる。無視するのが大変だったけど 「ノ!」と短く言って 通りすぎることにした。
「パレード」
海岸が近づいてきたら 人がすごくて まるで 、「諏訪湖の花火」状態で観覧席は入場料が要るようだった、無断で、柵の中に入った人は 警官に引っ張り出されていた。
垣の中をかいくぐって 前に出て 子供たちに混じって、1番前で見た。

イヤーー!凄いよーー!ここはキューバなんだ!熱いダンスだ!次々に趣向を凝らしたダシとグループが出てきて自慢のパフォーマンスを繰り広げる。それに負けじとばかりに警官がいっぱいで、チョットじゃまだった。

突然、柵が取り払われ、観客が全員走り出して踊り出したので、ビックリして呆然としていたら、警官がおまえも来いと言って手招きして呼んでいる。「Me?」と言って思わず自分を指差した。 急に怖気づいて、ビデオのテープも終わった事だし 12時も回ったので 又一人来た道を歩いて帰途に着いた。キューバは警官が多くて安全な町だとガイドブックに出ていたが、実感した。
「ココタクシー」
町を走っている小さなタクシーです。
ココタクシーと言う名前そのままの黄色の三輪車です。
観光客のこのカップルは、Nonkyがずっとビデオを回してたのでトッテモ恥かしそうにしてましたが、
外国の人ってこんな時 皆さん、笑顔で返してくれますね!
トッテモ感じの良いカップルでした。
    "Have a nice trip !!"


  ココタクシーに乗ってみたかったナ〜!
「ウェディングドレスの少女」
左の写真は、
カテドラル広場で見かけた花嫁衣装を着た少女、観光客と写真を撮って何がしかのお金を貰う。無断でカメラを向けると、何処からか男が現われてお金を要求する。男の目を盗んで、すばやく撮った一枚。

世界一美味いと言われるビール「カリビアンアイス」を捜し求めたが、結局見当たらなかった。ホテルやレストランでは「クリスタル」これもキレの良いドライなビールだった。

しかし連日日中は34℃を越える熱さ。それでも日陰に入るとカリブ海からふいてくる風が気持良い。

「トリニダ」
キューバ3日目
ハバナから約5時間のバスの旅で、古都「トリニダ」へ・・・・
途中「アクアダ」「ワヒミコ」で休憩。

トリニダの街は昔のままの姿でひっそりと私達を迎えてくれた。土産物屋の裏庭に焼き物の工場があり、職人さんが、土産物の壷や置物を作っていた。Nonkyも焼き物に興味があるので、轆轤を回す老人の名人芸とも言えるその手先を、食い入る様に見ていた。

バスの旅の途中、至る所でヒッチハイクの人々を見かけた。子供も老人もお腹の大きな女性も、大きな荷物をを側におき日陰を選んでいつ乗れるかも分からない車を待っている。もう何時間ここに立っているのだろうか!この国の現実を見たようだった。
黒雲立ちこめる「トリニダ」
ホテルは海の側に有って、リゾートホテルと言った感じで離れになっていて、清潔で可愛い部屋だった。
日本からシュノーケリング用のマスクとフィンを持って行ったので、前の海に入った。沖には根が有って魚が沢山居た。砂の中に大きなカレイが潜んでいて、チョット触ると、すばやく移動する。それに海水の温かいこと!30度は有ったと思う。その代わり部屋のシャワーは水しか出なかった。マ、イッカ!

海から上がると突然空が真っ暗になって、夕立が来た。ホテルは全館停電になり、食事は蝋燭の明かりで食べた。反ってムードがあり、忘れられない思い出となった。その代わり何を食べたか解らなかった

「カエンジュ」
翌朝は、夕べの嵐が嘘の様に快晴!
ホテルの庭には「火焔樹」の花が満開だった。

バスでの移動の途中道の両側は果てしなく続くバナナ畑随分居眠りしたと思っても気がついてもまだバナナの畑が続いている。かと思うと、今度はライム畑が延々と続く。全て国営農場だ。

「パラデロ」
バスでトリニダから「パラデロ」へ。世界一美しい海岸と言われる「パラデロ」・・・これゾ、カリブのリゾート!!砂は真っ白で海の色は今まで見たことも無い「青」!ホテルはビーチの中に有り何処も砂だらけ!(仕方ないか!)
早速水着に着替え海に入った。コーラルリーフが無いため、透明感はイマイチだがナンとも不思議な海の色に包まれて波に揺られていると、自分が日本語しか分からない観光客だと言うことを、忘れてしまう。直ぐ横で泳いでいたカップルは新婚旅行だろうか、最初から最後まで抱合ってキスしていた。これもイッか!!

食事の時は必ずバンドがテーブルの側でギターを弾きながら歌ってくれ、朝から晩までキューバ音楽に浸った日々でした。
「ヨットハーバー」
翌日オプショナルツワーのシュノーケリングに出発。送迎バスは各ホテルを回って客をピックアップしながらヨットハーバーについた。1番最初に乗ったので1時間もバスに乗っていた。ヨットハーバーはホテルの直ぐ側だったのにイ!ヨットには日本人観光客の8人とクルーが三人だった。

パラデロのビーチに沿って1時間半もヨットは走り沖にはイルカの群が見えた。小島の入江に錨を下して、シュノーケリング!日本では見られない珍しい魚も沢山居た。ロクスジフエダイの幼魚のむれは凄かった。幼魚は六本のスジがまだはっきりしていなくて、ジグザグになったり、斜めになったりマルで固体の性格をあらわしているかのようダッタ。




キューバに関しての、情報も少ない中、予備知識無く訪れたキューバでしたが、短い滞在にもかかわらず、すっかりキューバに魅せられてしまいました。子供達の輝く目と真っ白い歯、老人の皺の奥に秘められた余人の計り知れないであろう過去。現在も多くの問題を抱えた「カリブの真珠」キューバ!是非もう一度訪れたいと思いながら、帰国の途に着いたNonkyでした。











南フランス  (2001. 3.30〜4.06)                                          
プロムナード・デ・ザングレ
前日の21:55成田空港を飛び立ち翌早朝パリCDG空港にて乗り継ぎ再び空路ニースへ・・・・・

3月31日 ニース着9:00
「リヴィエラの女王」と呼ばれる町の景観は素晴らしく、高級リゾート地は「天使の湾」と呼ばれる入り江を抱いてまばゆい陽光に輝いていました。寒い早春の日本からダウンジャケットを着込んでいったNonkyはこの旅行中ずっと かさばるダウンジャケットに悩まされたのでした。

 
レート= 1フラン 19.45円  
ニース朝市 
いろんな珍しい店の中でひときわ驚いたのが、オリーブの店でした。オリーブもこんなに種類が沢山有ったんですね!しかも無造作に置かれてるんです!



エズ・ビラージュ
地中海を見下ろす断崖絶壁の岩山の頂上に作られた中世の村。標高427mのここは雲の上の村になることも珍しくないらしい。
外敵からの侵略を防ぐ為に砦のような村がこの南フランスには沢山見られる。中世の佇まいを残しながらも、地中海らしい白壁の家々が美しい。

「ニーチェの小道」と名付けられた小道を散策。


モナコ
バチカンに次ぐ世界第二の小国モナコ。フランスからの出入国はフリーパスで兵役も税金も無いこの国は観光とカジノの収益ですべて賄われている。モンテカルロラリーで有名ですよね!のんびりとして美しい町は歩いてるだけで楽しかった!丁度 宮殿の衛兵の交代に遭遇した。おもちゃの兵隊さんのようで見ててたのしい。
海洋博物館のどッしりとした建物に海の生物の彫刻がイッパイ有って建物の重厚さとのギャップが面白かった。
中に入って見学したかったが時間的に無理だった。いつかまた来ることが出きるかな〜!!

サンポール・ド・ヴァンス
4月1日 カンヌ観光後グラースの香水工場を見学。
その後「鷹巣村」へ
ここも外敵から守る為に山の頂上に作られた中世の町。偶然入ったギャラリーで、係りの女性が一生懸命「オテロ」について説明してくれた。がゴメンナサイ!サッパリ理解出来なかった。「オテロ」とはコルクに描かれた絵の事・・・と言うだけが分かりました。

シャガールのお墓が有りましたよ!石碑にシャガールの絵が彫ってありました。

マルセイユ
4月2日 マルセイユの港町は丁度公務員の清掃課のストライキの真っ只中で町中ごみが溢れて驚いた。ストの交渉次第で少しでも賃金をアップすれば直ぐにあっという間にキレイになるらしい!何処の国でも皆ゲンキンなんですね!

小高い丘の上に聳える「ソートルダム・ド・ラ・ギャルト寺院」はキリストを抱いた金色のマリア像が何処からでも見え印象的でした。左の写真はその寺院から撮ったマルセイユの町です。
ゴッホの跳ね橋
あのゴッホの絵で有名な「跳ね橋」!ここに移されてたんですね。ナンだか実感が湧かないです。それとセザンヌの好んで描いた白い山「サン・ビクトール」もこの目で見る事が出来ました。
エクス・アン・プロバンスには「セザンヌのアトリエ」が当時のままに残されていました。
「Nonkyは今セザンヌのアトリエにいるんだ。この階段はセザンヌが登った階段この手すりはセザンヌが持った手すり」・・・・・・いまいち実感が湧かない!ものすごく貴重な一瞬を過ごしてるのに・・・・

アヴィニヨンの橋
4月3日 
♪橋の下で踊ろよ踊ろよ 橋の上で輪になっておどろ♪
アレッ!チョットチガッタかな?歌にもなってる橋ですね!いっしょに旅行した友達は一人で歌いながら踊ってました。
なんと♪ヤーレンソーラン♪ドッコイショ!ドッコイショ!
ローヌ川沿いに位置する14世紀の街アヴィニヨンは城壁の町 中世の佇まいを今に残す町並みはシックで趣のある美しい街でした。街の中心に立つ法王庁宮殿は重厚で厚さ4mの壁に囲まれ内部は数え切れないほどの礼拝堂と宴の間、寝室などが残されていて日本語のイヤホーンガイドもありました

ポン・デュ・ガールポン・デュ・ガール
巨大な石造りの三層の水道橋は、近隣の町ユゼスの湖の水をニームまで運ぶ為に建設されたもの。建設は紀元前19年で2000年も前になるがその距離は50kmにも及び1日の送水量は2万立方メートルだったと伝えられているそうです。凄いですね〜!

現在は最下層は道路として使用。2、3層は見学用道路として開放されているので、歩きました。向こう端に付いたら山の中を通って水道橋の下まで行ってきました。下から見上げるのも一段と素晴らしかったです。
その後アルルの町へ アルルはローマ時代の面影を残し、密集した家々の間を石畳が伸びて、歩いているとまるでタイムスリップして中世の時代に居るような錯角に陥りました。
ローマ時代の闘技場も残されて現在はシーズンになると闘牛が開かれるそうです。
モンペリエ
4月4日  今日は終日自由行動
アヴィニヨンから列車に乗って1時間の「モンペリエ」に着きました。列車のチケットを買う時も大変だったし、モンペリエ駅に着いて帰りのチケットを先に買おうとしてコレもまたはじめての経験で大変ダッタ。なにせフランス語にはサッパリ無縁な生活の私達。チケットは自動販売機なんですね!とに角帰りのチケットを手にした時は思わず「バンザーーイ」と叫びました。モンペリエの町を端から端まで歩きたおし「ファーブル美術館」を見学、公園の屋台でジャンボサンドイッチにかぶりつき.30分遅れでホームに入ってきたアヴィニヨン行きの列車に乗れた時はなにか大きな事を成し遂げた気持ちがしました。

ポルト・カマルグ
4月5日 
今日はツワー最終日フライト時間が遅いので1日バスと運転手をチャーターして未だ日本人のツアーが足を踏み入れてない場所 カマルグ、エグ・モルト、サント・マリー・ド・ラ・メールの3つの町に行く事になった。

カマルグとは地名ではなく デルタ地帯の事で 白い馬で有名だそうだ。たしかにバスで移動中白い馬がのんびりと牧草を食んでる姿を良く目にした。
カマルグには野生のフラミンゴがイッパイ居ました。野生の動物はヤッパリ美しいですね!

エグモルト
エグモルトも城壁の中の町だった。城壁の外には塩田が有って塩の山が築かれていた。

エグモルトとは澱んだ町という意味でルイ14世が作らせた町。
サント・マリー・ド・ラ・メール 
聖女の町)と言う意味らしい。昔マリア像がこの町に流れついたとか・・・・
教会の屋根の上に上がる事が出来た。見下ろした町は穏やかな海に囲まれた小さな美しい町だった。
ジプシーの町と言うだけ有って店においてある商品は南米やインドのものが多かった。

観光客も少なく とても印象深い町。
教会の鐘にさしこむ太陽が神々しい

暖かい日差しとユックリと流れる時間。未だ中世が現代の人々の中に生きていると感じられる一瞬。今回の南仏プロヴァンス、コートダジュールの旅はとても楽しい旅行になりました。ただ心残りがひとつ!

プロヴァンスで車を運転してみたい人も車も少なくて快適なドライブが出来るだろうと国際免許を取得して勇んで出かけたNonkyでしたが、甘かった!!中世の石畳の坂道を小型車がビュンビュン!車間なんて全然無いし路上駐車を見たら透き間無くびっしり!!出る時は前後の車にぶつけてスペースを確保してから出るそうだ!すっかり怖気づいて、モンペリエへの列車の旅と相成った次第です。