土佐高知

2004. 03. 19

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東京で桜の開花宣言を聞いた後で、陽光まぶしい土佐の高知に飛びました。高知空港は去年、龍馬空港と改名されたばかりで、記念に「龍馬パスポート」なる割引券を配布していました。やっぱり暖かいわ〜!龍馬空港からレンタカーで、桂浜、高知城、ずっと足を伸ばして四万十川、足摺方面へと海岸線をめぐり、満開の菜の花畑の中、お四国巡礼の白装束のお遍路さんを追い抜く度に心の中で手を合わせながら、いつの日か自分が、白装束に身を固め、厳しくも清々しい顔で春の風を切り、やぶ椿の咲き乱れるトンネルの道を颯爽と歩く姿を思い描いた四国路の旅でした。


桂浜のすぐ上に有る坂本龍馬の銅像。懐に右手を入れ太平洋に向かって立っています。懐にはピストルを持っているとも言われています!龍馬アップ


桂浜の上に建つ灯台、飛行機雲があんなにクッキリと見えるということは、明日は雨かも・・・・・係りの方が上まで案内してくれました。コワーーーイ!膝がガクガク!
眼前に広がる太平洋と貨物船


月の名所の「桂浜」その昔は「五色浜」と呼ばれた様に五色の小石の浜でしたが御土産にに五色石を売って、今ではすっかり普通の砂浜になっています。土産店のご主人は、波の状態で五色石が有る時と、全然無い時が有ると言っていました。日差しが強い!南国だ!


高知城にやってきました。追手門の向こうに天守閣が聳えています。さすが国宝素晴らしい!


追手門を入ってすぐに自由民権運動の主導者板垣退助の銅像が空に向かって手を伸ばしていました!ここ、高知の人だったんですね。


板垣退助が刺客に倒れた時の「板垣死すとも自由は死せず」の言葉が側の石柱に彫られていました。余りにも有名な言葉ですね!


高知城主「山内一豊の妻」の銅像。イザ戦いという時、持参金で夫に馬を買ってやりチャンスを掴み、出世の糸口になった妻の鏡のような女性だけど「山内一豊の妻」とよばれるだけで、何所にも名前が見当たらないのは不思議だ!この人のおかげで、土佐の女性はシッカリ者が多いって事になっちょるけんど・・・・・・・ホンマやろ〜か〜?・・・


高知城内部は意外と緑が多くて、一瞬のうちに戦国時代にタイムスリップ。歩幅の広い石段。苔むした石垣天守閣に上がる階段の手すりも当時を偲ぶに余りあり、銃口穴から外を見ると戦いの歓声が聞えて来る様でした。天守閣内部の正殿も当時のままに保存されていて、最近良くあるいかにも鉄筋で補習された観光客向けの城とは一味もふた味も違う本物の城を感じました


毎年、何所よりも先に桜の開花宣言がされる高知城内のこの桜の木、今日開花宣言がされたそうで、テレビ局も来て必死で五つの花を数えちょりましたが仕方なく梅の花の下でコメントしていました。五つの開花を見た時点で開花宣言に踏み切るんですって!木自体もかなり古そうで、息絶え絶えやっと立っている感じがしました。やっと見つけた花一輪なのにボケちゃいました。


♪土佐の〜高知の〜はりまや橋で、ボンさん〜かんざし買うを見〜た♪あんなに有名な「はりまや橋」なのに〜!これは無いでしょ!まるで日光江戸村のセットみたいだ。今更仕方が無いのかな〜!
♪言うた〜ちイカンち〜や♪・・・・・か・・・・


その夜は、はりまや橋近くの鯨料理の店に行きました。少し食べて数が減ったけど右は「鯨のから揚げ」意外と柔らかくて美味しかったです。左は鯨の刺身の盛り合わせ、上から鯨のベーコン、鯨の刺身と皮鯨、ウネス、花鯨、サエズリ。どれも美味しかったですよ。刺身アップ


ジャコ天も美味しかったけど、これはジャコの味噌焼き。木しゃもじも焼けてしまって勿体無い。

翌朝早く高知を出発して56号線を走り土佐中村までやってきました。清流四万十川は、ゆったりと春風を載せて流れています。対岸には菜の花畑が広がり、土手にはツクシンボウがいっぱいで、のどかだ〜!それにしても人がいない!誰にも会わない!それから土佐清水に入り、椿のトンネルの岬まわりの狭い道を走る、ひゃーーーッ!!ハンドルを握る手に冷や汗が・・・・・・!絶壁の下は黒潮打ち寄せる荒海が牙をむいて、突然、対向車が現われて両車にらみ合い!こちらがレンタカーだとわかると、馴れた物できげん良くバックしてくれる。オオキニ〜〜!


足摺岬近くの松尾集落。遍路道です。


由緒正しそうな天満宮が有りました。


天満宮で祝いの餅投げが始まりました。この村では人生の節目、還暦、喜寿。米寿、と餅投げが行われ、今日は村の最長老の白寿の祝いです


馴れたもので、餅拾いグッズ持参でこんなにいっぱい拾っています、突き立てのお餅なので柔らかくて美味しそう!お餅の他にも御菓子やお金も投げるんですよ!タマゲタ!

天満宮の後に有って、神社を守るかのように聳えるアコウの大木、幹の内部は空洞になって子供が4〜.5人はいれます。これは圧巻ですよ!
松尾港、台風の高波に備えて防波堤を高く積み上げていました。港の中はトローリングの釣り舟が沢山繋留されていて、釣りのメッカなんですね!調度今釣り舟が沖から戻って来た所です。関西方面からの釣りクラブの人達らしかったけど、疲れも有ってか、皆さん、殺気だち、一触即発の雰囲気で、話しかけられないムード!不漁だったのかな?釣果の有った人は何だか気兼ねして小さくなっている。釣りって楽しい物じゃないの?もっと楽しめば?


今夜の宿は、松尾部落の外れ、太平洋に向かって突き出た岬に有る「サニーサイドホテル」夕方にになって生憎小雨が降ってきました。ホテルの辺りは海岸に沿って遊歩道があるので散歩をしたかったのですが明日にしましょう。ホテルのお奨めは海から汲み上げた海水の露天風呂。舐めるとやっぱりしょっぱかったけど、お肌つるつるになりました。海水だから上がり湯で漱がないと駄目だろうな!


土佐のさ鉢料理の変形ですね!ウツボの空揚げは意外と柔らかくて美味しかったですよ。お寿司も味が良かったし、伊勢海老も新鮮だから、こんな美味しかったのは初めてで感激
何と言っても鰹のタタキは絶品!タレが違うのかな〜!鰹も勿論採れたてなんだけど!にんにくといっしょにいっぱい食べました。この料理は別注です。


翌日も小雨が降っていました。足摺より西に車で40分位走って、ここは竜串(タククシ)タツノオトシゴの串ざしでは有りません


触るとムニョッとしそうな柔らかい物体のような感じがしますが岩なんですよ!
四国八十八ヶ所を修行して歩いた「空海」こと弘法大師も余りの難所ゆえに見残したと言われる「見残し」。地名もそのまんまですが、風や波の侵蝕によって柔らかい砂岩が様々な形に変形して自然の力の大きさを感じないではいられません。現在でも日々変形してるんですね
今夜も「サニーサイドホテル」に宿泊。左の鍋は4人前なんですが、伊勢海老やイカ、その他の魚介類が土佐らしく豪快にぶちこまれています!。これがチョー美味しかったんですよ!いっしょに来たブリ大根も味が良かったです。どれも食べきれなくて沢山残ってしまって、今考えると勿体無くて仕方有りません。死んでも良いから食べれば良かった!

反対に朝食は思いっきり質素でした。朝って普段あんまり食べないから良いようなものですが、干物くらい有っても良いのにって思います。
3日目、今朝は風雨が強くて岩に打ち寄せる白波が大きく砕けています。それに寒いわ〜!大阪から来ていた観光客が「足摺まで行くんでッか?この雨じゃ行っても何にも見えへんし、立ってもおられん位やな、どないしよ〜!」ってロビーをウロウロしていました。「岸壁に打ち寄せる波を見るだけでも行く価値は有りますよ」って答えてみた物の、小さなレンタカーでは吹き飛ばされそうな気がして、足摺岬の突端まで行くのは諦めて、嵐の少し治まるのを待って帰途につきました。

因みに足摺岬の灯台の有る岬の場所を土地の人は「御鼻」と呼びます。
「今日は、どがい風ん強いけんね、お鼻まで行ったち、いかんぜね!なんちゃ、見えらせなね、止めちょきなさいや」・・・・・と、言ったおばあちゃんの、潮風と太陽で刻まれた深い皺の奥の時代を刻んだ目が忘れられません。交通が不便な分だけ神秘性が残る土地、足摺岬、是非訪れて見てください。心身ともにリフレッシュ出来ますよ!