トルコの旅 3日目

アイワルク 〜 エフェソス 〜 アフロディシアス 〜 パムッカレ

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アイワルクから世界遺産のエフェソスに向かいます。

街路樹のオレンジが実ってるけど

美味しくないから誰も取らないそうです。

エフェソス到着

ホテルから約3時間かかりました。

多くの観光バスが出入りしています。
 

エフェソス遺跡チケット売り場
 
 
 




エフェソス遺跡

一歩遺跡内に入ると、まずその広さに圧倒されます。

今、歩いているこの道の下も遺跡だと聞いて

つい、足元の亀さんのようにそろそろ歩きなりました。




ヴァリウスの浴場跡

二世紀に造られたローマ浴場の跡、

中には脱衣場、冷水欲、温水欲、マッサージ室、トイレ等

が有ったそうです。

ステートアゴラ(行政地域)

奥に半円形の小劇場(オデオン)が見えます。


エフェソス遺跡

エーゲ海沿岸最大の古代都市遺跡エフェソス。

紀元前199年にローマに吸収されたエフェソスは、

1世紀ごろにはローマ帝国で5本の指にはいる大都市になりました。

キリスト教を退けアルテミスを信仰し続けましたが、

3世紀中ごろゴート族の侵略によってアルテミス神殿が破壊され、

4世紀になりキリスト教が公認されると、

東ローマ帝国の経済と宗教の中心的役割を果たすことになります。

しかし、森を伐採し小麦栽培に移行した辺りから徐々に港湾には土砂が流れ込み、

6世紀の終わりごろには完全に港は埋没してしまい、

7世紀にはいると完全に廃墟になりました。

要するに「文明の発展→自然破壊→廃墟」のサイクルなんですね〜・・・ため息・・・・

世界中に、このような事例が多々あるのに、人間は自然破壊を続けるばかり・・・・愚かだな〜・・・
 
 


エフェソス遺跡

ステートアゴラを通り過ぎ、大理石が敷き詰められたクレテス通りを下ると

右側に、ローマ帝国の重税に苦しんだエフェソスの人々が暴動を起こした際、

鎮圧に訪れたスラ帝が、犠牲になったローマ市民の慰霊碑として作らせた

「メミウスの記念碑」が見えます。メミウスとはスラ帝の孫の名前です。


その後、スラ帝を含む三代にわたってこの地が統治された為、三人のレリーフに賞賛の言葉が刻まれています。

左のイチジクの木の下に、「勝利の女神ニケ」のレリーフ、

ずっと奥のセリシウス図書館まで続いているクレテス通りの両側に主な建物がたっています。
 
 

クレテス通り

道に敷かれた大理石には

滑り止めの溝が彫られています。
 


ヘルメスのレリーフ(病院跡)

ギリシャ神話に登場するヘルメスは商売や牧畜の神、片面には杖に再生のシンボルの蛇が巻き付いたレリーフ。

このマークは今でも病院のシンボルとして使われています。

そう言えば、WHOのシンボルマークにも杖と蛇が・・・救急車やドクター・ヘリにも・・・



勝利の女神ニケのレリーフ

道脇に無造作に置かれていますが、

元々はヘラクレスの門の上に設置されていたそうです。
 
 

クレテス通り

2000年以上も昔の人が歩いた道を

今、自分が歩いているなんて、考えたら感無量!
 

ヘラクレスの門

これから先がメインストリートのクレテス通りに入る

重要な門で、係り官が出入りのチェックをしてたんでしょうね!

ライオンの毛皮を身にまとったヘラクレスの彫刻があります。
 
 


トラヤヌスの泉

偉大な君主と後世までも褒め称えられる

ローマ皇帝トラヤヌスを記念して作られた泉。

この辺りの上の方は高級住宅地だったらしい

大理石の道の脇にはモザイク模様の道
 
 
 

よく見ると見事なモザイク模様です。

通り全部がモザイクなんて、

作る事を考えたら気が遠くなりそう

ハドリアヌス神殿

皇帝ハドリアヌスは、
この地が地震に襲われたとき、救済活動をした為

感謝の気持をこめて捧げた神殿ですが、

これは複製で本物はエフェソス考古学博物館にあるそうです。
 
 
 

ハドリアヌス神殿

手前のアーチの中央に女神ティケの胸像と

その左右にはエフェソスの起源や伝説が描かれています。

ハドリアヌス神殿

その奥にメドゥサの彫刻。

ギリシャへの傾倒が強かったハドリアヌス好みの

神殿になっています。
 
 
 

男性用トイレ

大理石で出来ていて、穴の下は水が流れていたようです。

男同士仲良く肩をくっつけながら用を足していたんでしょうか。

想像するとおもしろい。
 


立派な建物が見えます。

セルシウス図書館

エフェソスの執務官を勤めたセルシウスは自費で図書館建設の費用を支払い、

その後息子に委託され、西暦117年ごろに完成しました。

(日本では弥生時代後期)

当時は12.000冊以上の蔵書を誇り、アレキサンドリア、ベルガモに並ぶ世界の三大図書館の一つでしたが、

262年ごろの地震や、侵略による火災に見舞われ崩壊した後、1970年代の大規模な修復に至るまで

何世紀にも渡ってファザード部分は破壊された姿のまま、この地に有りました。

ファザードの右側の二つのアーチを通り抜けて先に進みます。




セルシウス図書館

ファザード部分は遠近法が用いられ、柱は上にいくほど細く、

両脇も同じように細く作られ、より広く、高く見えるように作られています。

上部、中心にはセリシウスの大理石像が有りましたが、

現在はイスタンブール考古学博物館にあるそうです。



セルシウス図書館の前の大理石の道

真っ直ぐ進むと大劇場があります。





セルシウス図書館の横のアーチ部分の壁に有ったのですが

僕が発見した日本の仏像の千手観音だと現地ガイドが言ってましたが、不思議です。

紀元前のトルコの遺跡に千手観音が掘られているなんて・・・・

 

商業アゴラ

色んな店舗が軒を連ねていた所


商う品物の絵が彫られた看板が店ごとに有ります。

発掘された遺跡の欠片があちこちに雑然と置かれていました。

まだ、3割しか発掘されていないそうで、

発掘が進むと、どれだけの規模の遺跡になるのでしょうか。



ずーーッと先まで通りに沿って円柱が立っています。

大劇場

収容人数25000人、舞台から一番上の客席まで60m、

エーゲ海沿岸最大の劇場だったそうです。

音響効果が素晴らしくて、今でもコンサートやイベントが行われるそうです。

当時はこの劇場の直ぐそばまで海だったようで劇場からエーゲ海が見えたのでしょう。

日本歴史と比べてみるとどれだけ凄いか分かりますね!
 



劇場から外に出るトンネル
 
トンネルの中はひんやりしています。
 

発掘された無数の遺跡の向こうに大劇場全体が見えます。

その大きさがこの場所から良く分かりますね!

2000年以上昔の人々は

現在に生きる私達と大して違わない文化的な生活を送っていた様子が想像できます。



エフェソス出口

こちらから入って逆周りも可能です。
 
 


ランチタイムのレストラン

現実に戻ると一番最初に空腹感を覚えるのは何故?

チョップシシ(小串刺しケバブ)

煙に顔をしかめながらおじさんが焼いていました。
 

 

薄味の煮豆と肉の煮物

飲み物は
ザクロジュースとアイラン(ヨーグルト)のミックス。


チョップシシ

ゴハンが一緒に来ましたよ!
意外とあっさり味・・・

櫛をシシ、ケバブはローストしたと言う意味です。
 


レストランの庭の薔薇が綺麗でした。

昼食後、バスで2時間走りアフロディシアス観光へ・・・

アフロディシアス

遺跡まではこんなトラクターに牽引された箱型車で移動

アトラクションみたいでキャーキャー大騒ぎすると

運転手が面白がって余計にジグザグ運転して楽しかった。



アフロディシアス遺跡




アフロディシアスチケット

 

2017年に世界遺産に登録されたばかりの

アフロディシアス遺跡。

日本からの観光客では私達が一番乗りではないかしら?

一番でなくとも余り知られてないようです。
 
 
 

彫刻の飾りの付いた棺桶が無数に置かれています。

この遺跡では技術的に高度な彫刻が

多数発見されているそうです。

写真展示場

展示場には発掘初期の写真が多数展示されていました。
 



遺跡写真家

遺跡の椅子で寛ぐ村人

村人にとっては子供の頃からの遊び場だったのですね。
 
 
 

遺跡の水道蛇口

この水場は現在まで村人の生活に使われていたみたいです。

アフロディシアス遺跡

発掘された棺桶を並べた塀

小さので子供用の棺桶でしょう
 
 
 

アフロディシアス遺跡

アフロディシアスはトルコの西部カラジャスに有ります。

ゼウスの娘であり愛と美を司る女神アフロディーテに由来する都市で、紀元前2世紀から

6世紀まで栄えた古代ギリシャ・ローマ時代において最も壮大な都市のひとつといわれています。

近隣には大理石の採掘場があった為、街には多くの彫刻やレリーフがあり芸術文化が栄えました。

また、アフロディーテを祀る神殿や浴場、競技場などが建設され長く栄華を誇っていました。

しかし、キリスト教が盛んになるとアフロディーテを祀る神殿は教会へと姿を変え、

12世紀にセルジュークトルコの侵略によってアフロディシアスは衰退して行きました。
 
 



野外劇場

大理石で出来た椅子の配列がまったく崩れてないですね。
 
 
 
 

各施設には詳細な説明が付いています。
 
 
 

アフロディシアス遺跡

浴場跡
 
 
 
 

正確な図面もあるんですね

こんな感じだったんだ・・・
 
 


プール跡

小さい気がしますが・・・

 
スタジアムの説明

小さな写真はグラディエイターのレリーフですが、さすが筋肉が半端じゃないですね・・・・
 
 


スタジアム

1〜2世紀の間に造られ、長さ270m、幅59m

座席は30段になっていて約3万人の観客の収容が可能だったそうです。

マラソン、走り幅跳び、レスリング、円盤投げ、槍投げ、拳闘士の戦闘、野生獣の闘い、等が行われていました。

古代の人々の熱狂と歓声が聞こえて来るようです。


広いですね〜!一枚の写真に入りきりません。

日本ではと言うと、弥生時代後期でやっと稲作が本格的に取り入れら得てきた頃ですよ!

・・・脱帽・・・
 
 
  

大理石の観客席

座り心地が良い様に

足を置く位置が引っ込んで作られています。
 


引っ込んだ部分が日影になって

猫ちゃんが気持良さそう
 
テトラプロン

西暦200年ごろの建設、街の南北の主要通りから、

アフロディーテ寺院の広大な前庭に繋がっていたゲートだったようです。

1991年の修復の際には85%のオリジナルの大理石が使われました。

美しいゲートです!
 

テトラプロン

修復の際の図解
 
 

アフロディシアス博物館

入場しました。




勝利の女神ニケ
 
 





アフロディシアスには彫刻の学校が有り、

遺跡から発掘された彫刻が多数展示されていて

その技術の素晴らしさにため息が出ました。

写真はほんの一部です。

フラビウス・パルナスの像
 
 

役人は上等なトーガを身につけ

シャクと儀式用のハンカチーフを持っています。


額に鏃が突き刺さったままの骸骨

これを見ると、人類の歴史はまさに戦いの歴史と言う事ですね。

何世紀経った現在でも、人類に進歩は見られず、

世界のどこかで常に戦いがあり、多くの人々が犠牲になってるんですから・・・
 
 
 
 
ヘラクレスによって解放されるプロメテウス

ギリシャ神話ですね
 
 

 
トロフィーを掲げる女神(?)の足元に後ろ手に縛られて座っている女性。

ドレープの布を見に付けている女神は、

名誉、美徳、勇気を擬人化しているのでは無いでしょうか?
 
 


レリーフの保全や遺跡の復元の説明
 
 

レリーフや彫刻が発見された位置の説明
 
若い皇帝ネロと母親のアグリッピナ

あらゆる悪どい手を使った画策をし、ローマ皇帝妃となったアグリッピナは、

わが子ネロを皇帝にする為に邪魔者を全て排除しましたが、

結局は占星術師の予言どおり、わが子ネロによって殺される運命だったのです。
 
 
 

アフロディーテのレリーフ
 
 

老漁夫の像についての説明
 
 





アフロディシアス遺跡は、まだ情報が少なく、

各所に設置されている説明文を見ては

僅かに理解できた程度です。

遺跡の発掘も現在進行中で

これから徐々に情報も増えていく事でしょう

ココにも猫が
 
 

遺跡の猫って逃げないんですよ・・・

危機感を持ってないんですね!


出口

遺跡から現代社会に戻るとジュース屋さんが待っていました。

ナル・スユ(ザクロジュース)が人気でした。
 
 
 

バスは次ぎの観光地パムッカレへと走ります。
 
 

途中の景色

一時間半程走るとまっしろい山が見えてきました。
 
 


パムッカレ到着

PAN THERMAL HOTEL

今日はこの温泉ホテルに宿泊します。


PAN THELMAL HOTEL

手前の泳げるプールと

茶色の海草がブラ下がっているような所の上が温泉です。


温泉

段々になっていて、其々に温度が違い

底は硫黄でドロドロ、床にお尻を付けると

水着が茶色になり大変!落ちにくいですよ!
 


暗くなってから水着に着替えて泳ぎました。

水に入ると気持ちもリフレッシュ出来、

これから先の旅の為に英気を養えます。
 


夕食

ホテルのレストランにて

トルコは食糧自給率が100%と言われるだけに

レストランは何処も美味しそうな物ばかり

ヤバイ!


─ 4日目に続く ─