トルコの旅 8日目

スレイマニエ・モスク、トプカプ宮殿、ベリーダンスディナーショー
 
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イスタンブール旧市街地図




イスタンブールの朝

ホテル”リッツ・カールトン”の部屋より・・・・


ボーダフォン・アリーナ

ホテルの前が多目的スタジアム、

その向こうにボスポラス海峡が見えます。



朝食のレストランは向こうかな??



レストラン

今朝の朝食

リッチな雰囲気でのブレイクファーストは最高!



相部屋の彼女は朝がゆっくりなので、

朝食後一人でホテル内を探検して見よう・・・・



地下のスパにやって来ました。

なんだか凄そうだぞ!入っても良いのかな?


意外にも、暇そうにしていた

受付のスタッフが付いておいでと・・・

・・・凄くリッチな雰囲気・・・


サウナの休憩室

ぜ〜んぶ大理石だ・・・

マッサージ室

気持ちよく眠れそう・・・・



プール

泳いでる人が柱の陰に入った瞬間パチリ!


孔雀の羽がゴージャスな雰囲気を演出

洗面所

アメニティーも高級そうなのが揃ってます。



休憩室

部屋毎に歓声を上げる私に

苦笑しながら説明するスタッフ!

ジム

各施設を案内してくれて

今晩是非いらっしゃいと言われました。

このジム凄い!始めて見るマシンばっかり!

来れないと思うけど、ありがとう〜!



靴磨き道具

凄い!アラビアンチック!

スニーカーだと気がひける・・・

リッツ・カールトン

さて、イスタンブール市内観光に出発です。



ホテル入り口

ホテル敷地への入り口が狭くて

バスの出入りが毎度大変でした。


  
リッツ・カールトン

ホテルはヨーロッパ側の新市街に有りますが、

今日はガラタ橋を渡って旧市街の観光です。天気もよくてワクワク・・・




虹の階段

ホテルの直ぐ近く、最近観光客に人気の場所らしいです。

色を塗っただけの階段ですが、インスタ栄え?



ガラタ橋

ガラタ橋を渡って旧市街に入りました。

エミノニュ広場と、サバサンドのレストラン船も見えます。

その向こうに、今日行く予定のスレイマニエ・モスクも見えます。

サバサンドは食べてみたいな〜・・・・



まず最初に革製品のショッピング

ファッションショーが始まるようです。




新製品を来てモデルがアピールします。

この後でツアーの中から何人か選ばれてモデルをしました。



凄く柔らかい革で素敵でした。

何人かの男性が素敵なジャケットを買ったようです。

スレイマニエ・モスクの後庭

あれー?こんな所から入るの?


スレイマン帝廟

後庭は墓地になっています。



スレイマニエ・モスク

オスマン帝国の10代君主スレイマン一世の命により1550年より7年の歳月を掛けて完成し、

オスマン建築の最高傑作のひとつと言われています。

主礼拝堂の地上53mに達する大ドームを中心にしたドーム郡と

4本の長いミナレットを持つモスクは、大モスクの立ち並ぶイスタンブール旧市街の中でも一際大きく目を引きます。




スレイマニエ・モスクからみたイスタンブール新市街

ガラタ塔とその向こうに私達が泊まっているリッツ・カールトンも見えます。




スレイマン帝と后ロクセラーナ(ヒュッレム・ハセキ・スルタン)の廟

奴隷から皇帝の后に上り詰めたヒュッレムはスラブ系だったので

後にロシアの女と言う意味のロクセラーナと呼ばれたそうです。

奴隷から皇后に?さぞかし美貌と才覚に恵まれていたのでしょうね・・・・




ウドゥ(小浄)

礼拝の前に体を清める事を「ウドゥ」すると言い、

手、口、鼻、顔、腕、髪、耳、足の順に

決まった回数洗浄するそうです。

礼拝の前にトイレに入りお尻も必ず洗浄するので

トルコのホテルは必ずお尻洗浄用のノブが付いていて

日本のシャワー・トイレよりも大量の水で気持ちよく

洗浄してくれます。これは嬉しい誤算でした。

公衆トイレもお尻洗浄用のホースやジョロを必ず置いてます。




スレイマニエ・モスク入り口

私達は手も洗ってないけど大丈夫かな??

女性はスカーフで髪を隠して入場します。

靴は内部の棚におきました。


スレイマニエ・モスク

通常、モスク内部は薄ぐらいことが多いのですが、スレイマニエモスクに限っては

様々な方向から光が差し込んでおり、窓の数は計138。

内部壁や天井の装飾も白を基調とした落ち着いた色彩なので、

明るく開放的な雰囲気です。




スレイマニエ・モスク

ご覧のようにモスク内には数多くのオイルランプがぶらさがっていますが、

ランプから出る煤は、壁や天井を汚すことなく、自動的にメイン出入り口上部の部屋に集まるように

空気の流れが計算されていて、溜まった煤は内部装飾のインクとして際利用されていたようです。

モスク内は中央に余計な柱は一本もなく、「像の足」と呼ばれる強大な4本の柱と半円形のドームで支えられています。

修復作業が行われた時、丸天井部分には、左右対称に並べられた立方体の塊が256個見つかっており、

これが空気の空洞を作ることによって音の広がりを演出し、礼拝時のイスラム僧はマイク無しで説法が出来るそうです。

又、床のレンガにはわざと空洞部分を作って有るそうです。

モスク建築家ミマール・シナン、85歳時の大作と言われています。




スレイマニエ・モスク内部

床の絨毯はオレンジの部分に

一人ずつ座るようになっています。


装飾アラビヤ文字

何て書いているか分からないけど芸術的!

スレイマニエ・モスク

モスクには、ミナレットと呼ばれる尖塔が4基ありますが、

それはモスク建築を命じたスレイマン一世がイスタンブール占領後4人目のスルタン(君主)であることを意味し

各ミナレットに付いているバルコニーが10あるのは、

彼がオスマントルコ帝国10代目の王であることを意味しているそうです。



メトロ橋

調度今電車が見えますが、橋の上が駅になっていて、

イスタンブールの旧市街と新市街を結んでいます。



UDONYA優曇也

今日のランチは和食らしいです。


UDONYA優曇也

「うどんや」に、こんな漢字を充てたのですね・・・


店内は日本風なインテリアで

高級そうですよ・・・

天ぷら定食

天ぷらは揚げたてだし、

久しぶりの日本食が美味しかった〜!



焼き栗の屋台

街中でよく見かけるんですが、

いつもお腹いっぱいだから食べるチャンスが無いな〜!



見るからに美味しそうなんだけど・・・・

大きい栗だ・・・

アラスタバザール

トプカプ宮殿に行く途中だったので通り過ぎただけ

だったけど、目はしっかり物色中・・・・



トプカプ宮殿皇帝の門


ヨーロッパでキリスト教の力が拡大して行く中、

キリスト教勢力に対抗する一大勢力として台頭したオスマン帝国。

1453年に東ローマ帝国を滅ぼしたスルタン・メフメット二世は

征服したコンスタンティノープルを「イスタンブール」と改め、

自らのオスマン帝国の都としました。

そして、東ローマ帝国時代の重要な建築を接収、改築しながらイスタンブールの都には、

ゾクゾクとイスラム国家オスマン帝国の宮殿や官庁が立ち並び、

帝国最高位のモスクとなったアヤソフィアに隣接するその土地にトプカプ宮殿は建設されることになるのです。

(Travel book参照)


 
第一庭園

皇帝の門を入り第一庭園までは

オスマン帝国時代も現代も一般の人が自由に出入りできる場所です。

木陰の下で人々が思い思いに過ごしています。




表敬の門

第一庭園の次に潜る「表敬の門」

1460年に着工し16年の歳月を要して完成したトプカプ宮殿は1856年に宮廷がドルマパフチェ宮殿に

移るまでのおよそ400年のもの間、オスマン帝国スルタンの居城として栄え続けました。

(Travel book参照)


 
トプカプ宮殿入場チケット




表敬の門

穏やかな雰囲気の庭園の中に佇むトプカプ宮殿の建物の外壁は、

装飾らしい装飾も無く、シンプルで、まるでヨーロッパの中世の古城の雰囲気があり、

一見すると強大な権力を握り、華やかな生活を送った

スルタンの居城とは信じがたい物が有ります。



第二庭園

表敬の門を入ると樹木に囲まれた通路が

放射状に「幸福の門」まで続いています。



幸福の門

幸福の門を潜ると第三、第四の庭園がある

内廷とよばれるスルタンの私的スペースになります。


正義の塔

幸福の門を潜ると直ぐに高い塔がありました。

ここからイスタンブール市内と宮殿内を監視していたそうです。

塔の下は会議室になっています。

トプカプ宮殿は大きな建物を持たず、比較的小さな建物と部屋が連なり、

又多くの庭園と離れ(キョシュク=キヨスクの語源)を持つ建造物群で有り、

トルコ人の中央アジア遊牧民的な伝統に基づいた宮殿と説明されることも有ります。
 

 
謁見の間

ここでスルタンは政府高官や海外からの大使達と謁見していました。

タイルが素晴らしい!



 
ハレム

ハレムと聞くと、美しい大勢の女に囲まれた酒池肉林の絢爛豪華な昼夜を想像しますよね・・・

今から実際にその部屋を見に行きましょう・・・ワクワク・・・

入り口は意外と地味・・・観光客用だから?

 
ハレム入場チケット



ハレム

エフメット2世がトプカプ宮殿を建てた当時は、ハレムは有りませんでしたが

シュレイマン大帝の時、始めて奴隷から后になったロクセラーナを宮殿に入れ

ハレムはムラト三世の時代に完成しその後増改築を行ったようです。

ブルーのタイルが美しい・・・・



ハレム

ハレムは6層から出来ていて300の部屋が有りますが見学できるのは

そのうちの20の部屋と中庭などです。




ハレム

ここは通路ですが金やタイルの装飾だけでなく

軒下や窓枠などの細部に至るまで贅を凝らした壮麗な作りになっています。





母后の部屋

ハレムで最高の権力を持っていたのは、スルタンの母親でした。

最も偉大なスルタンと言われたシュレイマン大帝を牛耳ったと言われているロクセラーナは

例外的に正式に妻となりましたが、他のスルタンの母親は正式に結婚することはなく

奴隷としてハレムに入り、スルタンの母親として最高の権力を持ったとしても

彼女たちの身分は一生奴隷のままだったのです。

(LINEトラベルjp参照)



ハレム

奴隷身分の侍女も含めて多い時には1000人以上の女性が暮らし、

その一部がスルタン(君主)の側室になりました。

スルタン以外でここに入れる男性は黒人宦官と年少の王子のみでした。




皇帝の広間天井

側室となった女性も、もとは全て奴隷市場で売られていた少女達、

オスマン帝国は民族差別が無かったので、

奴隷商人から売られてきた様々な国や民族の女性たちが

この宮殿に入って来ました。

多くの側室を持ったのは、后の一族が権力を持つ事を避けるため。

オスマン帝国が弱体する要因は作らないと言う理由だったんですね・・・・




皇帝の広間

イスタンブールの奴隷市場から連れて来られた少女達は、其々、宦官によって、

歌舞音曲、礼儀作法、料理、裁縫、アラビヤ文字に詩や文学など

あらゆる教養を身につけさせられた後、トプカプ宮殿のハレムに移され地位を得て行くのです。




皇帝の広間

三枚のうちの真ん中の鏡はドアになっているそうです。



皇帝の広間

豪華な広間では、音楽隊に合わせてベリーダンスが披露されていました。

この部屋に入れるのは、スルタンの母后、第一夫人と愛妾たち、

そして子供達だけだったようです。



ハレム

素晴らしいオスマン芸術の粋
 


ハレム中庭

奴隷として売られて来た女性たちは

華麗な装飾に満ち溢れたハレムで

運命に翻弄されながら一生を終えて行ったのですね・・・・




ハレム

ここからが男子禁制となる入り口


ハレム出口

現実世界に戻ります。




トプカプ宮殿全体図
(Travel Book)


ボスボラス海峡

対岸はイスタンブール、アジアサイド。

山の上の鉄塔が目立ちますね・・・



ボスボラス海峡

イスタンブールはこのボスポラス海峡を隔てて、ヨーロッパサイドとアジアサイドに別れています。

観光客は旧市街など見所の多いヨーロッパサイドに集中しますが、

♪ウスクダラ、はるばるたずねてみたら〜世にも不思議な噂の通り〜町を歩いて驚いた〜♪

江利 チエミの歌で有名な”ウシュクダラ”もアジアサイドに有ります。

行ってみた〜い!



金角湾

マルマラ海からヨーロッパ大陸に文字通り「角」のように切り込んだ東西に細長い湾で、

ボスポラス海峡の西南の入り口に位置する、天然の良港です。

金角湾の架橋に付いては、レオナルド・ダ・ビンチと、ミケランジェロの二人が其々

オスマン帝国に架橋の計画を提案したことがあったそうです。

そのうちに、オスマン帝国はローマ皇帝との確執が消え、計画は実現しなかったようです。

1836年にガラタ橋が建設され、現在はさらにアタチュルク橋、ハリチュ大橋がかけられ、

金角湾は工業、住宅、公園地区として開発されています。

(Wikupedia 参照)



トプカプ宮殿

金角湾が良く見える場所にきました。

トプカプ宮殿の工事中看板



アフメト三世の泉亭

トオスマン帝国が衰退の時代を迎えた第23代皇帝、

イスタンブールに西欧文化を導入、次々と新しい施設を建て、

イスタンブールの水路整備と共に、給水用と装飾を兼ねた泉の建物(泉亭)を各所に建設

市民が自由に利用できました。

トプカプ宮殿正門前に有る泉亭です。




その横には明日行く予定のアヤソフィアが見えます。





海辺でのんびり

今夜はベリーダンス・ディナーショーですよ!

GAR

ベリーダンスのディナーショー




GAR

着席すると直ぐにダンスが始まりました。

前菜


トルコ風ビフテキ

肉が硬くてパサパサで残念なディナーでした。

写真は美味しそうですけど・・・




いよいよです。

美人ダンサーでした。


韓国人客の席では

若い男性も多くて盛り上がってますね!


ベリーダンス

トルコでは「オリエンタル・ダンス」「ギョベッギ・ダンス(ヘソダンス)」とよばれていますが、

発祥は紀元前にまで遡り、豊穣祈願や女神信仰を目的としたダンスだったそうです、

その後、ロマ達の移動により、各地で民族ダンスを取り入れては次ぎの土地に伝え、

各地に広がっていったようです。

オスマントルコ帝国時代になると、世界中から集められた奴隷の少女達に、

教育の一環としてベリーダンスを教え、国王スルタンに披露していました。


客席から何名か舞台に上がって一緒に踊りました。

トルコと言えばやっぱりベリーダンスは欠かせませんよね!




今日はオスマントルコ時代の華やかな宮殿、ハレム見学、

奴隷として世界中から売られてきた少女達が、どんな気持で日々過ごしていたのだろうか・・・・

と、考えを巡らせたり、異国情緒に酔いしれたり、

旅は沢山の物を考えたり吸収したり出来ます。

明日はトルコ最後の1日になります。


─ 9.10日目に続く ─